5年間、会わずに思い続けること
5年間会わなかった人を、思い続けることができますか?
この作品の主人公(女性)は、大学院時代から好意を寄せていた女性と、5年の月日を経て再会します。
その女性は結婚し、台湾で暮らしています。
日本で働く主人公は、彼女への思いを書いたカードを渡そうと思うのですが、勇気が出ません。
直接、好意を伝えることもできません。
再会のハグというものは時間制限付きで、相手が離れようとする動きを敏感に読み取り、そのタイミングで自分も離れなければ、友人という名の関係性の領分を侵し・侵された気まずさが残ってしまう。(p.81)
相手を敏感に察知する息遣いが伝わる描写です。
以下に興味がある人におすすめです。
- ジェンダー、同性愛
- 旧友との再会
- 台湾文化
- 繊細な心理描写
一言あらすじ
日本で働く台湾人女性が、台湾で暮らす大学院時代の友人と、5年ぶりに再会する。
主要人物
- 林妤梅(りんよばい):私。日本の銀行に勤める台湾人女性
- 浅羽実桜:台湾で結婚した日本人女性。笑うと目が三日月の形になる
可哀そうであってほしい
再会する実桜が可哀そうであってほしいと、妤梅は思っていました。
会社の男達が私に「結婚できない可哀そうな女」という幻想を見出そうとするように、私もまた実桜に、「結婚して自由を奪われた可哀そうな女」という虚像を求めていた。(p.99)
なぜ、実桜が可哀そうであってほしいのでしょうか。
実桜が幸せだと、妤梅が入る余地がなくなるからです。
実桜が可哀そうな女だと、妤梅は何かしてあげられるのです。
例えば「台湾で暮らすのやめて、東京で一緒に住もう!」と言いやすくなります。
ですが、幸せであれば、そんな隙はありません。
思いを伝えても、拒否されるどころか、今の関係性すら崩れてしまう恐れがあります。
三日月と錯覚
三日月と実桜の笑った目がリンクします。
空には三日月が懸かっていた。「世の中大抵のものが錯覚かもしれないね。あの月だって」
「本当は欠けてはいない。欠けているように見えるだけ」
「でも綺麗でしょ?」
「綺麗」
私は勇気を振り絞った、「実桜ちゃんの目みたい」(p.106)
妤梅は、なぜ勇気を振り絞ったのでしょう。
文字通り読むと、実桜の目が三日月に似ているのを伝えたかったことになりますが、重要ではありません。それだと勇気を振り絞る必要ありませんから。
重要なのは「笑ってるけど本当は笑ってないんだよね?」ということ。
幸せそうに見える実桜は錯覚で、実際は幸せではないんだよね? と、妤梅は言いたいのです。
可哀そうであれば、思いを伝えやすいですから。
雑誌の掲載はこちらです。
調べた言葉
俄仕立て:間に合わせるために急につくること
異境:母国を遠く離れた土地
追想:昔のことを思い出してしのぶこと
淑やか:もの静かで気品があるさま
戦ぐ(そよぐ):草木などが音を立てながら揺れ動く
第161回の芥川賞候補作についてはこちらです。
第41回野間文芸新人賞の候補作についてはこちらです。