震災を機に石垣島に移り住む
2011年の東日本大震災のとき、俵万智さんは仙台に住んでいました。
震災のニュースばかり見ていたら、小学生の息子に指しゃぶりや赤ちゃんがえりのような症状が出始めたそうです。
石垣島に引っ越した旧友を思い出し、俵さんから思い切って連絡したことで、石垣島に住み着くことになります。
沖縄の石垣島に、息子と移住して三年あまり。旅の人というにはやや長く、島の人というにはまだ短い時間が流れた。(p.203)
そんな頃に書かれたエッセイ集です。
挟み込まれる短歌
『サラダ記念日』を知らない人はいないと思います。俵さんが20代前半に書かれた作品と知って驚きました。
私が一番好きなのは、
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
(サラダ記念日より抜粋)
このエッセイにも、ところどころに短歌が入っていて、島の情景や母子の暮らしを描き出します。
特に良いなと感じた短歌を、3つ紹介します。(本当は全部抜粋したいのですが)
「オレが今マリオなんだよ」島に来て子はゲーム機に触れなくなりぬ(p.121)
本日が命日となる魚らの死体いただく生姜刻んで(p.127)
それは春、モズクの森を探しゆく子は生き生きと足を濡らして(p.130)
どれも光景が鮮やかに目に浮かびます。
調子に乗って、このエッセイになぞらえた短歌を考えてみました。
- 石垣の風景求めて本開くそこに映えるは水を得た母子
俵さんと息子さんは、石垣島での生活で、周りの人に支えられながら再生していきます。
こうなってほしい子の将来
俵さんは、震災を機に、息子になってほしい姿が変わったと言います。
「迷惑をかけないほうがいいけれど、かけてしまうときには、周りからそれを許される人。自立も大事だけれど、人は結局一人では生きていけない。ならば、困ったときに助けてもらえるような、人とのつながりを、うまく築ける人」になってほしいと思うようになった。(p.76)
困ったときに周りに支えられてきた俵さんを見ている息子さんですから、人とのつながりをうまく築ける人になるんだろうなと思います。
迷惑をかけてしまっても許されるためにも、まずは迷惑をかけられても笑って許せる人に、なりたいものです。
巻末の読書日記より
巻末の読書日記を読んで、読みたい本が2冊あったので紹介します。
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高橋源一郎『「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について』
- 奥野修司『不登校児 再生の島』
上は、震災を機に広がった「正しさの同調圧力」について書かれた作品。下は、問題の抱えた子どもが島で暮らして「リセット」するノンフィクション作品です。