母に一人残された少女
二人暮らしの家から、母が消えます。
母の最後の言葉です。
「ジターヌを切らしてるみたいなの」
(中略)
「だから、ちょっと買いに行ってくるわ」(p.37)
ジターヌ(煙草)を買いに、少女から離れる母。
少女は、子を預かっている貸本店に残されます。
貸本店の店主が、少女に言います。
「――お母さんは幻のジターヌを買いに行ったのかもしれん」(p.42)
それから20年が経ちました。
少女は妊婦になり、夫と喧嘩をして、実家へ帰省します。
その実家は、母と二人暮らしていた家ではありません。
一人残された少女が行き着いた、大叔母の家です。
そこに行き着くまでを、描いています。
以下に興味がある人におすすめです。
- 親に一人残された少女
- 嘘と創作
- 紙芝居
- 濃密な文章
一言あらすじ
「煙草を買ってくる」と言い残し、帰ってこなくなった母。残された少女は、母の姿を追いながら、次の住まいへ行く。
主要人物
- トウコ:主人公。現在は妊婦、20年前、母が消えた
- コンキチ:貸本店の主人。そこで子を預かっている
- キミエ:トウコの母。女給をしている
嘘を憎む母
トウコは、母のことをほとんど知りません。
ただ、母が嘘を憎んでいることを知っています。
どんなに他愛のない嘘であれ、娘から譎詐の匂いが漂おうものなら母は必ず嗅ぎつけ、猫のように尖った爪でその肌を刺し、熊のように掲げた握り拳を振り下ろす。(p.9)
かなりヒステリーですね。
そうしてできた青痣が、トウコの両腕に目立ちます。
トウコはそれに対して、しつけが行き過ぎだとは思っていません。
最初に泣き出すのが、いつも母だからです。
嘘に救われる
嘘を憎む母が、煙草を買いに行くと言ったきり、帰ってきません。
嘘を憎むくせに、母も嘘をついています。
一方で、嘘で救われることもあります。
貸本店のコンキチが言う、「伝説の煙草を買いに行ってるから、母が帰ってこない」のは嘘だろうと、少女のトウコは気づいています。
ですが、その嘘を受け入れることで、救われています。
母に捨てられたのではなく、母は伝説の煙草を探しに行っているだけ、と。
紙芝居は人生のよう
母が消えた後でも、コンキチの紙芝居にトウコは夢中です。
コンキチは紙芝居をたとえに、トウコを間接的に励ましています。
お前が大きくなって、どんなに嘘がうまくなっても、どんなにか上手に気働きするようになっても、芝居画だけはそのとき持ってるもんで満足しなけりゃいかん。(中略)自分が納得していい出来だって誰に対しても胸を張れるような芝居画を、いっぱい集めておきなさい。(p.62)
芝居画は、人生経験でしょう。経験に嘘をつくことはできません。
大叔母の家へ行きながら、トウコとコンキチは、心を交わしていきます。
その道中すべて、バスや山登りや山小屋での宿泊は、誰に対しても胸を張れる芝居画でしょう。
調べた言葉
短慮:考えが浅いこと
三和士(たたき):コンクリートで固めた土間
身重(みおも):妊娠していること
独善:自分だけが正しいと思い込むこと
わななく:身体が小刻みにふるえる
目敏い:見つけるのが早い
逡巡:ぐずぐずとためらうこと
渋面(しぶつら):にがにがしい顔つき
極彩色:鮮やかな色どり
鷹揚:ゆったりと落ち着いていること
肩をすくめる:やれやれという気持ち
居丈高:人を威圧するような態度をとるさま
さもしい:いやしい
第41回野間文芸新人賞の候補作についてはこちらです。