草刈りする理由
主人公の母の実家に、使われないまま放置されている納屋があります。
納屋の周りには草が生い茂っており、その草を刈るため、親族が集まります。
- 主人公
- 母
- 母の姉
- 母の姉の子
- 母の兄
主人公は、草を刈る必要はないと思っています。
納屋は使われていないし、連休の最終日に草刈りに連れられて、不満たらたらです。
草刈りをする母の言い分は、
- できる限り修繕しておくべき
- 誰かに頼むのは気が引ける
- ごみを不法投棄される
などですが、主人公は納得できません。
この作品は、納屋の周りに生えた草を刈りに親族が集まる話にとどまりません。
主人公はじめ親族にとっては、「納屋の周りに生えた草を刈りに集まる」のですが、読み手にとっては違います。
読者には、放置された物や出来事の過去が語られます。
過去が語られるのは納屋だけでなく、
- 母の実家
- 実家の隣の家にあるカヌー
- 母の兄が話した捕鯨
などと、目に映ったり誰かに語られたりしたことを機に、それが現役だった過去へワープします。
その過去は、主人公が生きる現在の視点ではなく、その当時の状況が描かれます。
以下に興味がある人におすすめです。
- 家族のつながり
- 空間のつながり
- 歴史
一言あらすじ
納屋の周りの草を刈る現在の話と、目に移ったり誰かに語られたりしたものを機にワープする過去の話が、交互に語られる。
主要人物
- 奈美:主人公。30歳手前の会社員
- 美穂:奈美の母
- 敬子:美穂の生みの親。90歳近く。納屋の持ち主
空間のつながり
現在(納屋周りの草刈り)とワープする過去に、物語のつながりはありません。
ですが、空間(場所)は同じです。
空間は、過去から引き継がれていきます。
この作品を読むと、空間そのものにも歴史はあると思わされます。
そう考えると、主人公たちが草刈りをしている現在の空間も、次の世代に引き継がれていきます。
では、タイトルの「背高泡立草」は何を示すのでしょう。
「納屋」でも「蔓」でもなく、納屋に茂っていた何種類もの植物の一つである「背高泡立草」がタイトルにつけられているのか。
背高泡立草の花言葉は、「生命力」です。
背高泡立草が「母の親族」を示しているように感じました。
「納屋」と「背高泡立草」の関係=「空間」と「母の親族」の関係というように。
では、背高泡立草(生命力)を刈るのは、親族の終わりを示すのかというと、そうではないと思います。(30歳手前の主人公や従妹に子どもはいませんが)
草刈りを終え、伯父が言います。
もう当分は生えんやろ。来年まではすっきりしとるよ
(中略)
ええ、たったの一年?
刈ってもまた生えてくるのですから。
調べた言葉
- 一再ならず:一度や二度ではなく、何度も
- 半畳を入れる:他人の言動に非難やからかいの言葉を投げかける
- 仮借なく:見逃したり許したりすることがなく
- とっくり:十分に念を入れて物事をするさま
- こもごも:次々に
- 観照:主観を交えずに、冷静な観察と思索から物事の本質を認識しようとすること
- 鷹揚:ゆったりとして落ち着いていること
- 耄碌(もうろく):老いぼれること
- 床上げ(とこあげ):病気や出産の後、体力が回復して寝床を片付けること
- 筆まめ:おっくうがらずに手紙や文章をよく書くこと
- おめおめ:恥とわかっていながら何もしないでいるさま
- 雄飛:大きな志を抱いて意気盛んに活動すること
- 艱難辛苦(かんなんしんく):悩むことと苦しむこと
- おぞけをふるう:恐ろしくて体がふるえる
- 哨戒:敵の襲撃を警戒して見張ること
- はしこい:動作が素早い
- 豪胆:度胸があって、ものに動じないこと
- 誉れ:ほめられて誇りに思うこと
- 疫痢:赤痢菌によって起こる伝染性感染症
- 口さがない:口うるさく、やたらと言いふらす
- 猖獗(しょうけつ):悪いものの勢いがさかんなこと
- 遊山:気晴らしに外出する
- 反目:仲たがいしてにらみ合うこと
- 打擲(ちょうちゃく):人をたたくこと
- 喉が鳴る:ご馳走を見て、食欲が盛んに起こる
第162回芥川賞の候補作、受賞予想はこちらです。
第162回芥川賞・直木賞の結果発表、会見、選評の感想はこちらです。