ありのままに生きること
タイトルの通り、「漁港の」そばに住む「肉子ちゃん」の話です。
肉子ちゃんの本名は、菊子ですが、焼肉屋でバイトしており、太っているから、「肉子ちゃん」と呼ばれています。
なぜ漁港のそばに住んでいるかというと、
肉子ちゃんは、大阪で水商売をしていましたが、男に騙されたり、逃げられたり、借金を背負わされたりして、流れ着いたのが、この漁港でした。
肉子ちゃんには、小学生の娘、喜久子がいます。
娘も母親も、名前が同じ「きくこ」です。(娘はキクりんと呼ばれています)
何かしら、わけがありそうな親子ですが、肉子ちゃんがとにかく明るいです。
「3月4日、さぁよろし、やな!」
(中略)
「自ら大きいって書いて、臭いって読むのやから!」
(中略)
肉子ちゃんの話し方は、いつも語尾に「!」とか、ひどいときは、「っ!」がつく。
娘は、そんな母親を、
肉子ちゃんは、人間関係の始め方も、下手くそだ。相手が自分のことをどう思うのか、とか、どんな風に接すれば空気が変に震えないのか、とか、そういうことを、全然考えられない。
と、冷静に見ています。
肉子ちゃんは、言いたいことを言い、やりたいことをします。
解説で日野敦さんは言います。
ありのままでいたいという気持ちと、それに抗おうとする自意識を同時に抱えたキクりんが、様々な出来事と通じて成長していく話でもある。(p.337)
ありのままに生きる「肉子ちゃん」と、なかなかそうは生きられない娘「キクりん」。
娘の目線は、同時に読者の目線でもあります。
以下に興味がある人におすすめです。
- ありのままに生きる
- ありのままに生きることに抵抗がある
一言あらすじ
漁港のそばに流れ着いた「肉子ちゃん」とその娘が、港町の人々に支えられながら生きるさま。
主要人物
- 私:主人公。キクりんと呼ばれる。肉子ちゃんの娘
- 肉子ちゃん:私の母親。太っていて焼肉屋でバイトしているからそう呼ばれる
肉子ちゃんに憧れる
なぜ、ありのままに生きられないのでしょう。
例えば、嫌なものに嫌、つまらないものにつまらないと言えれば、もっと楽です。
それが躊躇されるのは、相手に迷惑を掛けたり、嫌われたりするからです。
「人に迷惑をかけてはいけません」
大抵の人に刷り込まれています。
ですが肉子ちゃんは、
ありのままに生きていて、皆から愛されてるし、元気を与えています。
その違いは何でしょう。
嫌われたり陰口をたたかれたりすることを、恐れていないからなんだと思います。
そんなことより、今自分は何ができるか。何をしたいか。
それを第一に考えて行動する肉子ちゃんに憧れます。