口に出してはいけないこと
主人公と両親の三人暮らしの家で、あひるを飼うことになりました。
名前は「のりたま」
近所の子どもたちがあひるを見に来るので、家が賑わいます。
両親は、家に来る子どもたちのために、お菓子やお茶を出したり、勉強できるよう部屋を使わせたりします。
あひるは慣れない場所に来たからか、徐々に体調を崩します。
父が病院へ連れていきますが、病院から戻ったあひるに、主人公は異変を感じます。
これはのりたまじゃない。
わたしは隣りに並んで立っていた父と母の顔を見上げた。
「どうしたの?」
父と母の声が揃った。二人とも、不安気な目でわたしを見ていた。
のりたまじゃない、という言葉がのどまで出かかった。本物ののりたまはどこ行った?
でも、何も聞けなかった。
違うあひるに変わってました。
ですが、主人公は何も言えません。言ってはいけないと察したからです。
なぜ、言ってはいけないのでしょうか。
解説の西崎憲の例えが分かりやすいです。
父親が子供を銭湯につれていく。元気な子供は湯船につかっているときに、興味深いものを発見して大声で父親に報告する。パパ、あのおじさん、背中に絵が描いてあるよ。
子供はそれに言及すべきでないことを知らなかった。それは口に出してはいけないことだった。
あひるが変わったことを、言う必要はないのです。
寂しかった家が、あひるのおかげで賑わいを取り戻し、両親は喜んでいるのですから。
口に出してはいけないことを言うとどうなるか、興味がある人におすすめです。
楽しみを他人に依存しない
20代後半と思われる主人公は、職務経験がありません。
それに、資格を取れば仕事が決まると考えています。
両親は主人公に何も言いません。諦めているのでしょう。
あひるが変わったことを主人公に隠すのも、諦めからだと思います。
あひるは家に賑わいをもたらしました。
主人公も、小さいときは両親に可愛がられたのでしょうが、成長して、生活は落ち着きました。
両親は今、あひるを見に来る子どもたちのために一生懸命です。
あひるはマスコットで、交換可能です。
一方、主人公はマスコットではなく、交換不能です。
両親にとっては、交換不能な主人公より、交換可能なあひるに価値があります。
親孝行できない主人公が悪いということではありません。
むしろ、他人に依存してしか楽しみを見出せない両親が可哀そうです。
あひるが交換可能なのではなく、あひるを交換可能にしている両親に恐ろしさを感じます。
あひるを見に来る子どもの世話や、孫の誕生の祈りではなく、自分で楽しみを見つけられたらいいのにと思います。
あひるを見に来る子どもや、孫の誕生は、両親がコントロールできるものではありません。
とはいえ、主人公に「なんでずっと家にいるの?」とも言えません。