人を殺した後の人生
15歳の主人公は、死に至る難病におかされていました。
死の恐怖から免れるため、主人公は憎悪を抱きます。
自分も含めた全ての人間をくだらないものであるとし、そのくだらないものが生きている人生をくだらないと考えた。人間を見る度に、「あれはいつか必ず死ぬ生き物だ」と呟くことにした。
主人公は奇跡的に一命をとりとめ、学校生活に戻るのですが、友人たちとうまく会話ができません。
心配してくれた親友を池から突き落とし、溺れるまま見殺しにします。一度助けようとしたものの手を伸ばさず、友人の溺れる様子を凝視しながら一人で喋ります。
この映像に耐えてみろ、この世界の中で最も非情な映像を、平然とやり過ごしてみせろ。そうすれば、この世界を克服したことになるはずだ。
誰にも見られていなかったため、主人公は捕まることなく、親友の死は自殺として処理されます。
ですが、
- 友人を池に突き落とした事実
- 助けず見殺しにした事実
は変わりません。
主人公の頭には4つの選択肢がありました。
- 今すぐ死ぬ
- タイミングをとらえて死ぬ
- 自首をする
- 自殺も自首もせず、病の再発まで生き続ける
主人公は4番目を選びます。
そのためには徹底的に悪になる必要がありました。
人を殺した後の人生に興味がある人におすすめです。
人を殺して幸せになっていいのか
地元を離れ、大学に入学した主人公は、周りの人に恵まれます。
愛してくれる女性もできました。
なるべく疲れない仕事をして、セックスして、ご飯食べて、セックスして、たまにどこかに出かけるんだよ。ねえ、こういうのって幸せだと思わない?
一方で、そんな主人公に、幻覚とおぼしき存在が言います。
人殺し。人殺し、人殺し……
(中略)
どうすることもできない状態で、苦しみ続けるんだ。そのままだ。そのまま、死ぬまで、苦しみ続けろ
人を殺した人間は、一生苦しみ続けないといけないのでしょうか。
それとも、罰を受けた後は、幸せになってもいいのでしょうか。
どちらか一つではないはずです。
一生苦しみ続け、それでも自分なりの幸せを追求していけば良いと思います。
ただそれは、第三者の視点だから言えることです。
被害者の立場だったら、加害者の幸せを思うことはできないでしょう。
「許せない」「殺してやる」という気持ちになるのは理解できます。
加害者の立場だったら……わかりません。幸せになっていいのかと自問するときもあれば、罰を受けたんだから幸せになってもいいと思うときもあるでしょう。
なので、第三者でいるからこそ、どちらか一方に偏らず、それぞれの立場で考えるしかありません。
「一生苦しみ続けろ」も「幸せになっていい」も、第三者が言うべきではないと思いました。