大人になったら英雄はいらない
「ヤー・チャイカ」はロシア語で、意味は「わたしはカモメ」です。
世界で最初の女性宇宙飛行士、テレシコワのコールサインが、「わたしはカモメ」だったそうです。
ちなみに、人類で最初の宇宙飛行士ガガーリンのコールサインは、「ヤー・オリョール」=「わたしはワシ」だそうです。
だから何なのかという話ですが、カモメとワシの違いは作中で示されています。
「カモメみたいに一度飛んだら降りてきてのんびりすればいいのに、ワシさんはがんばりすぎたのよ」とカンナは言った。
「なるほど。しかしわれわれには高く飛ぶワシが必要だった。それをガガーリンはよく知っていた」とクーキンが言った。
カンナは日本人の女子高生、クーキンはロシア人のおじさんです。
クーキンが言う「われわれ」とはロシア人ではなく、少年たちのことだそうです。
続けてクーキンは、
大人になったら、もう英雄はいらない。
と言います。
逆に言えば、英雄が必要なのは子どもです。
カンナは高校生ですが、父である主人公は、彼女がどんな英雄を必要としているか、見当がつきません。
カンナは機械体操をしていますが、限界を感じています。
体操はもうこれ以上やっても伸びないと思う。
(中略)
なんかのびのびと身体が動かない。無理しているって気がする。限界だよ。
英雄にあこがれて何かを始めたとしても、限界を感じて終わりがくるのが普通です。
限界を感じた結果、自分に合った現実を受け入れます。
現実に向き合ったら、つまり大人になったら、英雄はいらないのでしょうか。
夢とのはかない別れや、現実に向き合うことに興味がある人におすすめです。
恐竜を飼う少女
娘やロシア人との現実的な生活が描かれる章とは別に、
わたしは恐龍を飼っています。
から始まる、幻想的な章が描かれます。
わたし=カンナでしょう。
彼女は恐竜に毎日餌をあげており、その恐竜に乗れるのは世界で自分だけだと自負しています。
彼女が成長すると、恐竜に餌をあげる少女が、
- 餌をあげる少女
- それを俯瞰する少女
に分かれます。
幻想に別れを告げるのが、大人になることなのでしょうか。
幻想を抱きながら、現実を生きていくのはできないのでしょうか。
分かれ道で一方を選んだら、もう一つがどういう道だったのか、推定するほかない。(中略)誰だって両方を較べて選択しているわけではないのだ。
人生の分岐点で、ゲームのようにセーブポイントがあればいいのにと思います。
一つの世界しか選べないのは、そして一度選んだら後戻りできないのは、当然のこととはいえ、残酷です。
やはり大人になっても、英雄は必要です。
現実を受け入れたことを言い訳に、くたびれた大人になんか、なりたくないからです。
調べた言葉
- 雑然:いろいろなものが入り混じってまとまりがないさま
- 事蹟(じせき):事の跡形
- 光芒(こうぼう):すじになって見える高専
- 流感:流行性感冒(インフルエンザ)
- 蒼穹(そうきゅう):青空
- かがる:糸などで束ねて縫う
- 茫然:広大なさま
- 煉獄:カトリック教で、死者霊魂が天国に入る前に、火によってその罪を浄化するとされる場所
- 汲々:一つのことにとらわれて、ゆとりなくそれだけにつとめるさま
- 倒錯:反社会的、反道徳的な態度を示すこと
- 気後れ:相手の勢いにひるむこと
表題作『スティル・ライフ』の感想はこちらです。