亡き母の代わりにブラジルへ
40代半ばの主人公は、亡き母の代わりに、母の友人とブラジルへ行きます。
母は、友人とブラジルに行くのを楽しみにしていました。
ですが、母に癌が見つかり、旅行どころではなくなりました。
母の友人は、ブラジルで育った日系ブラジル人で、日本に帰化する準備のため、ブラジルに行くと言います。
ブラジルには行ってみたいと思っていた主人公も、行くことにします。
旅行の間、母との記憶が呼び覚まされます。
- 母の死
- 弟の死
- 母の友人の夫の死
大切な人の死との向き合い方に興味がある人におすすめです。
大切な人の死との向き合い方
大切な人が死んだとき、自分を責めてしまうのは仕方ないのでしょうか。
もし自分が○○していたら、△△できてれば――、と。
主人公は小学校のとき、弟を亡くします。お風呂での突然死でした。
主人公は、テレビドラマの見よう見まねで人工呼吸をしますが、うまくいきません。
後になって、やり方が間違っていたと知ります。
自分のせいかもしれないと言ってみたところで、そんなことないよ、と言われるのはわかっている。だから、自分を責めて見せたところで、それは嘘だし、自己陶酔だと思う。
また、母が亡くなった直後、詰まっていた痰が口から出てきます。
主人公は直前に、看護師に痰の吸引をしなくて大丈夫かと聞いています。
これが取れてたらすっきりしたのに、と思った。
主人公は看護師を責めません。
「すっきりしたのに」と思うだけで、「もっと生きられたのに」とは思いません。
弟と母、
ふたりの存在を肯定するためには、死んでしまったことも全部ひっくるめて、肯定せざるをえない
死を否定せず、死を含めて肯定することで、主人公は自分を肯定しています。
一方、母の友人は、自分の夫の死に責任を感じています。
主人公は「あなたのせいじゃない」となだめながらも、
人間はそんなに完璧じゃない。どうにかできたと思うのは思い上がりだ。
と考えます。
母の友人が、親族を亡くしたときも、
人間はそんなに万能じゃない、とつぶやく。自分が救えたと思うなんておこがましい。
と、主人公は、人の死をどうにかできるとは思っていません。
母の友人は、死から救うことはできないとわかっていながら、
どうしてこうなったしまったのかを考えたい。なにがあの人を追いこんだのか。それを考えるのが自分を肯定するってことだと思うから。
と言います。
- 主人公:死を含めて肯定することで、自分を肯定する
- 母の友人:死についてを考えることで、自分を肯定する
どちらが良いかはわかりません。
大切な人の死にどうやって向き合うか。
私は、死を含めて肯定できる主人公ほど強くないし、死について考え続けられる母の友人ほど強くもありません。
調べた言葉
- コロニア:植民地
- シャーマン:予言・治病などを行う宗教的職能者
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