3回読んでもわからなかった
- 芥川賞、野間文芸新人賞の候補のときに2回
- 今回三島賞候補で1回
計3回読みました。
前回読んだときの感想はこちらです。
わからないことが多い小説です。
例えば、主人公が「○○くん」と呼ばれていること。固有名詞が与えられていません。
作品の舞台が2000年初期で、当時の普遍的な存在だから「○○くん」と呼ばれているのでしょうか。
主人公は、ゲイで、大学院の修士論文を書けず、学生なのに高級マンションに住み、親が破産しているのに留年を許されます。どの時代でも普遍的だとは思えません。
この作品は、芥川賞、野間文芸新人賞、三島賞の候補(野間文芸新人賞は受賞)ですから、評価されています。
ですが、何故そこまで評価されているのか、理解できませんでした。悔しいです。
文章自体が難しいわけではありません。むしろ読みやすいです。
哲学の専門用語が出てきますが、直後に説明されるので、哲学に明るくない私でも、読み進めることができます。
タイトルの「デッドライン」が示しているのは、
- 動物と人間
- 男性と女性
- ゲイとノンケ
- 修士論文完成と修士論文未完成
などの境界線です。
主人公は、さまざまな境界線(デッドライン)に立たされています。
ときには境界線を乗り越えます。
例えば、「僕」という一人称で書かれているのに、大学院の同級生「知子」という女性の三人称に変わり、「知子」しか見えないはずの光景が描かれます。
「僕」は「知子」に変わったことで、境界線を越えたといえます。
だから何だっていうのでしょう。境界線を越えたから一体何なのでしょう。
「知子」は主人公と同じく、修論に追われている同級生ですが、特段親しいわけではありません。
主人公の指導教員は言います。
人間でも動物でもいいのです。他者と「近さ」の関係に入る。そのときに、わかる。いや逆に、他者のことがわかるというのは、「近さ」の関係の成立なのです。
「近さ」の関係に入ることが、境界線を越えることだとしたら、
- 特別親しいわけでもない「知子」の何がわかったのか
- 何によって「近さ」の関係が成立したのか
わかりませんでした。
ただ、「知子」からは、主人公が「猫」(動物)のようだと指摘されています。
「○○くんが猫みたいだったよ」
と言って知子が笑う。
(中略)
猫の方に意識が行って、魂が抜けたようになって、僕は猫になっていた。
人と動物の境界線(デッドライン)にいるところを目撃されているのです。
だから何だっていうのでしょう(2回目)。
こちらもわかりません。
修論のデッドラインに間に合わなかった主人公は、自己破産した親から、もう1年大学院にいることを許してもらえます。
もう本当にわかりません。
調べた言葉
- たわむ:押されて曲がる
- 気宇壮大:闊達
- 大儀:めんどうなこと、やっかいなこと
- 戯れ:遊び半分
第33回三島賞の候補作、受賞予想はこちらです。