自分の死から人生を考える
目標を立てるとき、
- ○○大学合格
- ○○会社内定
と、具体的な目標を設定し、達成方法を考える人が多いと思います。
私もその一人です。
ですが、間違っていました。
もっと大きなスケールで考える必要がありました。
自分の死から考えるやり方です。
死の床で自分の人生を振り返ったとき、もっと多くの時間をオフィスで過ごせばよかった、あるいはテレビをもっと見ればよかったと悔やむ人は、果たしてどれくらいいるのだろうか。答えは簡単だ。一人としているわけがない。死の床にあって思うのは、家族や愛する者のことである。人は誰かのために生き、最期はその人たちのことを思うのだ。
死を考えたとき、上で挙げた目標(合格や就職など)のスケールは、小さいです。
人生を振り返ったとき、
- 会社での時間
- 娯楽の時間
に、時間を割き過ぎると、後悔しそうです。
では、どういう人生を送ればいいのでしょう。
そこで『7つの習慣』です。
7つの習慣のうち、まずは最初の2つに取り組むのが良さそうです。
- 主体的である
- 終わりを思い描くことから始める
1について、
主体性とは、自発的に率先して行動することだけを意味するのではない。人間として、自分の人生の責任を引き受けることも意味する。私たちの行動は、周りの状況ではなく、自分自身の決定と選択の結果である。
自分の決定と行動を、周りの人や状況のせいにせず、自分自身に責任を持ちます。
2について、
「終わりを思い描くことから始める」は生活のさまざまな場面やライフステージに当てはまる習慣だが、もっとも基本的なレベルで言うなら、人生におけるすべての行動を測る尺度、基準として、自分の人生の最後を思い描き、それを念頭に置いて今日という一日を始めることである。
人生の最後=自分の死を思い描いて、死に向けた自分の行動の基準を定めます。
どんな死かをイメージする際に挙げられている例は、自分が死んだ後、どのような弔辞を読まれたいかです。
読まれたい弔辞を考えてみました。
- 家族:困った時に寄り添ってくれた
- 友人:楽しい時を過ごせた、信頼していた
- 同僚:困った時に頼りになった
- 自分自身:ここまで生きてきて良かった
です。
いつでもそばにいる存在より、ピンチのときに頼りになる存在に憧れます。
そこから私の行動の尺度、基準を考えると、
- 人に干渉しない
- 相談されたら話だけは聴く(聞かれてもないのに助言しない)
- どうしようもできないときは助けを求める(助けを求められたら助ける)
- 行動するかどうか迷ったら、少しだけ行動してみる
- 無理して頑張らない(逃げてもいい)
以上を基準に生きていきます。修正や追加は随時行います。