中学校別、スカートの長さ比較
『首里の馬』で高山さんが芥川賞を受賞した際、『オブジェクタム』で受賞すべきだったという人の声を、ちらほら聞きました。
それで、読んでみました。
結論から言うと、
『首里の馬』より良い作品だとは思いませんでした。
『首里の馬』に比べて、文章は読みにくいし、作品自体で何が言いたいのか、うまく掴めませんでした。
ただ、読んでいて、懐かしさだとか、知ってるような風景だとか、そういうものがぼんやりと浮かんできます。
主人公は小学生の男の子です。
広場の壁に貼られた手書きの新聞が、祖父によって作られていることを知り、主人公は誰にも知られないよう、祖父を手伝います。
主人公の他に、手書きの新聞の作成者が祖父であることを、誰も知りません。
名を明かさずに新聞を作ることを、祖父は、
せまい町の中で、書く人間の正体がわかってしまうと客観性に支障が出る
と言います。
客観性の支障の有無は不明ですが、その新聞は、地域に住む人たちの関心の的です。
確かに、記事には興味深いテーマがあります。
例えば、
『町内中学校の女子、スカ―トの長さ比較』
です。女子中学生のスカ―トの長さが膝上か膝下か、地域内の中学校で比較するという記事です。
調査の結果、スカートが短い中学校は二中だと知った主人公は、
一番不良が多いのは二中?
と、祖父に訊ねます。
祖父は、
記事を見る人の中にはそう思う人もいるだろうな。逆に、おしゃれだ、自由だという人もいる。それは、我々の仕事じゃない。読む人がすることだ。
と言います。読んで何かを判断するのは、読む人の仕事というわけです。
高山さんの小説にも同じことが言えるんだろうな、と思いました。
小説を読んでどう思うかは、読む人それぞれでいいと言ってくれているような――
そう思うと、良い作品な気がしてきました。
祖父はさらに、
豆知識だとか浅知恵だとか、意見だとか、そういったものがいっぱい集まる。ふつうに考えて、関係ないような見当はずれな言葉でさえ、その集まったものが人間の脳みそみたいに精神とか、意志、倫理なんかを持っているように見える場合がある。
と言います。
難しいですが、この構造は『首里の馬』に通ずるものがあると感じました。
そして、「関係ないような見当はずれな」人物たちが、最後に、全員集合とばかりに関わってきます。
最初は、ぱらぱら登場してきた人物たちが、最後に集まってくるのです。
まるで、作品全体が「人間の脳みそみないな精神とか、意志、倫理」を持っているように見えてきます。
構造自体は掴んだ気がするのですが、肝心の、「精神、意志、倫理」はこの作品で一体何なのか、何を示しているのかは、わかりませんでした。
併録されている『太陽の側の島』の感想はこちらです。