働かないで生きる選択肢
著者の石井さんは、和歌山の限界集落でニートをしています。
住んでいる場所は、最寄り駅から車で2時間かかる山奥の、廃校になった小学校の校舎です。
そこに、10代から40代の男女15人が住んでいます。
石井さんは、
浪人、留年、中退と三重の親不孝を重ねて、その挙句引きこもり。
バイトすら上手くできなくて、この社会ではどうにもやっていける気がしない。
社会の歯車にもなれない僕に、生きる価値がない。
と思っていたそうです。
なぜ、こんな山奥に人が集まったのかというと、
なるべく働かないための生活の知恵。
もし、ここより生活費が安い場所が見つかったら、多くの人は出ていくだろう。
生活費は、食費と光熱費で、月18,000円だそうです。
月18,000円なら、一生懸命働かなくても生活できます。
山奥ニートどうしには、明確なルールは存在しませんが、暗黙の了解のようなものはあるそうです。
- 自分が使った食器はすぐに自分で洗う
- 月に数回、夕食を作る
- 半年に一度、全員で大掃除する
- 集落の行事には参加する
月18,000円払って、月に数回ご飯を作れば、誰にも文句を言われることなく生活できます。
僕らは集落に対して、何もしない。
地域おこししようなんて思ってないし、変革を起こしたいわけでもない。僕らは本当に、ただ平和に暮らしたいだけだ。
実家でニートをするよりは、気が楽ですね。
二―トの子供を持つ母親が、見学に来たことがあるそうで、山奥ニートの一人は、
「息子さんをここに行かせるんじゃなくて、お母さんがここに住んだらいいんじゃないですかね」
と言ったそうです。確かにそうですね。
母親は「息子のためを思って」と言うのでしょうが、息子本人が行きたいと思っていないのに無理矢理行かせるのは、母親の自己満足に過ぎません。母親の気持ちはわからなくもないですが、待つしかないのではないかと思います。
ニートはうらやましいですが、私は山奥ニートになりたいとは思いませんでした。
働かなくていいし、時間にゆとりがあるし、好きなことができるというのに、何が不満かというと、
- 山奥という不便な場所
- ニートという世間体の悪さ
- ニートであることの耐えられなさ
- 周りもニートという居心地の悪さ
あたりです。
本書を読んで良かったのは、私は、そこそこの労働を受け入れて、ある程度の都会で暮らすのがいいと再認識できたことです。
ニートとして生きられる人は、単純にすごいです。
働いていなく、学生でもなく、家事をしているわけでもないのに、生きていける精神力は、皮肉ではなく尊敬できます。
世間体を気にしてしまう私は、ニートになるくらいなら、働いた方がましだと思ってしまいます。本当は働きたくないのにです。
――働かずに、ある程度の都会で暮らすことができたら。
と、都合の良いことを考えます。
そんなうまい話はないし、ニートになるのはやはり世間体が邪魔をします。
宝くじで億当選すればすべて解決するのにと、束の間、夢物語に浸っていました。