やさしい言葉でむずかしい内容
『ふたりでちょうど200%』はパラレルワールドっぽい短編集です。
収録作品は、
- 『カタストロフ』
- 『このパーティ気質がとうとい』
- 『ホモソーシャル・クラッカーを鳴らせよ』
- 『死亡のメソッド』
で、『ふたりでちょうど200%』というタイトルの短編はありません。
短篇を合わせて『ふたりでちょうど200%』という一つの作品なのでしょう。
ふたりとは、
- 菅
- 鳥井
という若い男です。
ふたりはどの短編にも登場しますが、それぞれで仕事や役割が違います。
要は、短編どうしがパラレルワールドになっています。
- 出版社の営業マンで、バドミントンサークルではダブルス(『カタストロフ』)
- ダンスボーカルとファン(『このパーティ気質がとうとい』)
- ブラック企業の同僚(『ホモソーシャル・クラッカーを鳴らせよ』)
- 若手俳優とゴシップ記者(『死亡のメソッド』)
タイトルの「ふたりでちょうど200%」は、『カタストロフ』での営業成績の達成率からきています。
菅の達成率129%、鳥井の達成率71%。ふたりでちょうど200%なのだと菅は考えていた。
なぜ、個人の成績を合わせるかというと、菅の高い達成率が、鳥井のフォローあっての成績だからです。同僚や菅はわかっています。
菅と鳥井は「ふたりで二人分」です。「ひとりで一人分」ではありません。
ふたりで行うのは、出版社の営業以外にも、
- バドミントンのダブルス
- コンタクトインプロのダンス
があります。
バドミントンのダブルスについて、
攻撃範囲にしても守備範囲にしても重なってて、相手の身体はプラスというよりマイナスだし、ただしく邪魔という感じがする
コンタクトインプロについて、
他者の身体との接触をきっかけに、自我と他我のさかいをとりはらい、ふたりでいっこの生命のように動く
とあり、限りある空間で人間が行動している点が、共通しています。
じゃあ生きてるってことはなに?
という問いに対して、
菅は「それは邪魔ってことだよ」といった。
空間に、身体としての人間の存在が、邪魔なのでしょうか。
作品はやさしい言葉で書かれているのですが、内容は難しいです。
「身体」と対になっているのは、「記憶」です。
菅と鳥井には、幼い頃に海でおぼれたことを覚えています。
ですが、
海で溺れていたかれらははっきりとその記憶があるわけではない。記憶があるわけではないのに自我があるというのは、身体だが身体じゃないような、身体じゃないが身体のような、へんな感覚だ。
記憶は、身体が体験したから記憶しているのであって、身体が体験していない記憶は、何によるものなのでしょう。
菅や鳥井は、別のパラレルワールドから記憶の一部を引き受けているように見えます。
体験していないのに覚えているということは、別のパラレルワールドが存在し、それによるものなのかと、ほんの少しだけ思ってしまいます。
例えば、私は小さい頃、海の近くのリゾートホテルを俯瞰した映像を記憶していますが、親に聞いてもそんなところに住んだことや泊まったことはないと言われました。
パラレルワールドに存在した私から引き受けた記憶なのかもしれません。
調べた言葉
- 伯仲(はくちゅう):力量などが近く、優劣がつけがたいこと
- 口吻(こうふん):口ぶり
- 気概:くじけない盛んな意気