感傷的な小説は害悪か
感想①はこちらです。
感傷的な作品について、保坂さんはネガティブにとらえています。
感傷的な文章やストーリーで書かれた小説は、ひたすら深刻なことばかりが書き連ねられている手記と同じようにベストセラーになることが多いけれど、それらがベストセラーになる理由は、「読者が成熟していないからだ」と、まず割り切ったほうがいい。
「読者が成熟していない」は辛辣な言い方ですが、成熟していないからこそ感傷に浸りやすい作品が売れるのでしょう。
本書は2003年に出版されています。感傷的な作品について、私は、同時代にヒットした『世界の中心で、愛を叫ぶ』を思い描きました。
『世界の中心で、愛を叫ぶ』は、男子高校生である主人公と、不治の病にかかった女子高生の物語です。映画化やドラマ化もされ、本は300万部以上売れています。
感傷的な話は決まって、友人や近親者が死んだあとの時点から、その死が進行しているときを振り返って、「私は何もできなかった」と、自分の無力を甘くかみしめるつくりになっているが、その傍観者的態度が罪悪なのだ。
セカチューにしか思えません。
書き手は自分が作り出した文章の世界に浸って、その外に出ようとしない。
なぜ、保坂さんが感傷的な作品に否定的かというと、
当事者として出来事に関わったら、それが終わっても出来事の不条理さにいつまでも腹が立ったり、「ああすればよかったんじゃないか……」「こういう手も打てたんじゃないか……」とウジウジ考え続けるはずのものだが、感傷的な書き方は、そういう整理のつかない気持ちを全部言葉としてきれいなフレーズで昇華させてしまう。
当事者なのに、現実的ではないということですね。
ただ、これを言うなら感傷的な作品自体に害悪があるわけではなく、そうした書き方や当事者である語り手の態度に、問題がある気がします。
感傷的な作品は、わかりやすくて読みやすいです。テーマもキャッチ―で、話題にも上がりやすいです。それを「読者が成熟していないから」で割り切ってしまうのは、強引な感じがします。
保坂さんの作品は真逆です。デビュー作『プレーンソング』で、保坂さんはルールを設けます。
- 悲しいことは起きない話にする
- 比喩を使わない
- 猫を登場人物の心理の説明として使わない(猫を猫として書く)
ルールに沿った『プレーンソング』が面白いかといえば、読んでいる間は退屈でした。
主人公は、彼女と住む予定だった2LDKのアパートに住みます。近くに猫がやってきますが逃げられ、友達がやってきては住み着き、平坦なストーリーでした。
ただ、他にあまりない作品という点では特殊な作品だと思いました。
退屈さを感じましたが、「お前が成熟していないからだ」と言われたらそれまでですし、実際そうなのだと思います。
私が、作品を面白く感じるレベルに達していないだけです。
それと同じ理論で、感傷的な作品を面白く感じる人もいれば、そうではない人もいるでしょう。
感傷的な出来事を体感した主人公が傍観者的な態度だと、現実的でないと感じるかもしれません。
ですが、痛みの最中にある主人公の心情がリアルに描かれているなら、感傷的な小説でも、私は害悪とは思いません。