最後まで読ませる力
途中で読むのをやめようと、何度か思いました。
登場人物の独白や、まとわりつく文章に、胸やけするような感じがあったからです。
また、小山田浩子さんの選評で、
読んでいて暴力や陰惨さに心乱されねばならない間合いでいちいちつまずく
とあるのと似ていて、読んで楽しみを感じる箇所はほとんどなく(楽しみを感じる読書が必ずしも良いわけではないにしても)、後半は読み進めるのがつらかったからです。
ですが、最後まで読まずにはいられませんでした。
理由の1つに、冒頭で提示される、
少年ら数人が焼け死んだ失火事件
の結末が気になったからです。
- 山奥の廃屋における若者の監禁
- 廃屋の火事
の行く末が気掛かりで、登場人物の語りの重々しさと相まって、読み切ることができました。
2つに、又吉直樹さんの選評に、
人物を完全に把握させず次の大きな暴力の予兆を増大させ物語全体をだれさせない書き方に技術があった
とあり、物語の世界に緊張感を保ち続ける書き方だからこそ、最後まで読めたのかもしれないとも思いました。
途中で投げ出さず、最後まで読んで良かったです。
小山田さんの選評に、
登場人物が呆然としていてはっと気づくと事態が進展している、という箇所が複数あるのもご都合主義ではないか
とあり、登場人物が呆然としているとまでは言い切れませんが、ご都合主義的な展開を感じた箇所はありました。
特に、弱者だったはずの者(監禁された者)がいつの間にか豹変し、強者(監禁した者)の上に立っていたのは疑問で、うまくいきすぎている感じがありました。
また、廃屋にちょうどよくガソリンの入った容器が置かれているのも気になりました。
タイトル「追いつかれた者たち」とは一体誰のことを指すのでしょう。
本作は三人称で書かれており、
- 監禁した者
- 監禁された者を救う者
に、視点となる人物が存在します。
- 監禁した者は、監禁された者を救う者や炎に追いつかれ、
- 監禁された者は、監禁した者に追いつかれ、
- 監禁された者を救う者は、監禁した者・された者を追い疲れます。
どの人物にもはまるからこそ、追いつかれた者「たち」なのかもしれません。
視点となる人物で気になったのは、どれも似たようなタイプの人間であることです。
一見おとなしく見えますが、急に豹変し、饒舌な語りを始めたり、暴力的になったりします。
それが人間に共通する部分だから、という意図からかもしれませんが、思想や行動が一体誰のものなのか、一見わかりにくくなっているのは確かでした。
産経新聞の文芸時評で、石原千秋さんが、新潮新人賞の受賞作2作を、
どちらもショボイ
と一蹴していますが、ショボイで片付けられる作品ではないと感じました。
とはいえ、同月に取り上げられている他の作品に、『水と礫』と『コンジュジ』があり、その二作に比べれば、
どちらもショボイ
と一蹴したくなる気持ちも、わからなくはないです。
調べた言葉
- イミテーション:模倣
- 粗野(そや):言動などが荒々しいこと
- 骨相(こっそう):骨格
- 放恣(ほうし):勝手気ままでだらしがないこと
- 等し並み(ひとしなみ):同等
- 決然(けつぜん):きっぱりと決意するさま
- 大儀:めんどうなこと
- 建付け(たてつけ):開閉の具合
- 生彩:いきいきとしていること
- 不倶戴天:同じ天下には生かしておけないと思うほど、恨みや憎しみが深いこと