介護する側される側
28歳の主人公は、前職を自主退職し、就職活動をしています。
仕事がなかなか決まらないので、家で資格の勉強をしたり、筋トレをしたりします。
主人公は、
現在無職だが死にたいと思うようなときなど一瞬もおとずれず、生を謳歌したい気持ちでいっぱいだ。
家には要介護状態の祖父がいます。祖父は、
早う迎えにきてほしか
もうじいちゃんは死んだらいい
と弱音を吐きます。祖父のつく杖の音が、家に響きます。
同居している主人公や母は、弱音を吐く祖父に、優しい言葉などかけません。
母は、
これみよがしに杖つきやがって。杖なしでも歩けるくせに
と悪態をつきます。
主人公、母、介護ヘルパーで、祖父への介護のスタンスが異なります。
- 主人公:介護することで、祖父の機能を衰えさせ、死にたいと言う祖父の願望をかなえる
- 母:自分が楽をするため介護を最小限にする
- ヘルパー:自分たちが楽をするため過剰な介護をする
手をさしのべず根気強く見守る介護は、手をさしのべる介護よりよほど消耗する。(中略)生きたい者にはバリアを与え厳しくし、死にたい者にはバリアをとり除き甘やかすというふうに、個別のやり方を考えるべきだろう。
と主人公は考えます。
介護職の友人の、
人間、骨折して身体を動かさなくなると、身体も頭もあっという間に、ダメになる。筋肉も内臓も脳も神経も、すべて連動してるんだよ。骨折させないまでも、過剰な足し算の介護で動きを奪って、ぜんぶいっぺんに弱らせることだ。使わない機能は衰えるから。
という言葉を、主人公は実践します。
ですが祖父の機能は衰えません。それどころか、主人公や母がいないところでは杖なしで歩行し、食事を作っていたようです。母の言うように、祖父の行動は「これみよがし」だったのかもしれません。
なぜ、祖父はできることにもかかわらず、できないふりをしていたのでしょう。
2つ考えられます。
- できないからこそ居場所があるから
- 孫である主人公に役割を与えたいから
1について、母の家に住まわせてもらっている祖父は、健常でないから居場所が与えられていると考えられます。健常だと居場所がなくなってしまうという恐れから、できないふりをしているのかもしれません。
2について、失業中の主人公に、介護という役割を与えることで、主人公を元気づけていたのかもしれません。就職先が決まり家を出ることになった主人公に、祖父は、
じいちゃんのことは気にせんで、頑張れ
じいちゃん、自分のことは自分でやる
と、前向きの言葉をかけます。死にたいと言っていた以前の祖父とは別人のようです。
一方、新天地へ向かう電車に乗った主人公は、
三〇前にしてようやく再就職できただけの、ひどく不安定な存在
だと感じます。
支えを失い、よろめいてつまずき転んでしまいそうな心地
で、気が付けば祖父の姿を探していました。
自分より弱い存在である祖父の介護が、主人公の精神的支えだったのでしょう。
主人公が介護していたようで主人公自身も介護されているという構成が、作品にはまっていました。
調べた言葉
- 鼻白む:興ざめすること
- 慰問客:見舞客