少年刑務所受刑者の詩集
本書は、奈良少年刑務所の受刑者が書いた詩で、構成されています。
タイトルの「空が青いから白をえらんだのです」も、受刑者の書いた詩です。
詩を書いた受刑者の人となりを、編者の寮さんが補足します。
残念ながら私は、57編の詩の良さが、わかりませんでした。
「空が青いから白をえらんだのです」という言葉の響きには、確かに美しさを感じます。
ですが、
- 詩の作者が何を言いたいのか
- その詩が何を表しているのか
は、わかりませんでした。
ただ、読み進めるうちに、詩の内容は関係ない気がしてきました。
受刑者の方が詩を書いていること自体に、意味があると感じたからです。
寮さんは、
「詩」は、閉ざされた彼らの心の扉を、少しだけ開いてくれました。
と言います。少年刑務所で「社会性涵養プログラム」を担当する寮さんは、
童話や詩を使った情操教育の授業
をしています。
授業を受ける対象者は、
みんなと歩調を合わせるのがむずかしく、ともすればいじめの対象にもなりかねない人々。極端に内気で自己表現が苦手だったり、動作がゆっくりだったり、虐待された記憶があって、心を閉ざしがちな人々。
です。
詩を読み、詩を書くことで、人が変わったように性格が変わっていきます。
例えば、
- 内気で自信のなかった受刑者は、好きなことをきっかけに話せるようになり、黒板に図を書いて説明できるようになった
- ふんぞり返って座っていた受刑者は、書いた作品を周りに褒められたことで、腰かける姿勢が変わり、身を乗り出すになった
などです。
なぜ、詩を読み、詩を書くことで人が変わるのでしょうか。
誰ひとりとして、否定的なことを言わないのだ。なんとかして、相手のいいところを見つけよう、自分が共感できるところを見つけようとして発言する。
書いた詩を発表しやすい場ができているのでしょう。創作の合評の場で、否定的な言葉が出てこないのは、すごいことだと思いました。
では、なぜ、誰も否定的なことを言わないのでしょうか。刑務所の先生方がお手本になっているからだと、寮さんは言います。
先生方は、普段から、彼らのありのままの姿を認め、それを受けいれているというメッセージを発信し続けていらっしゃる。そのメッセージを受けとった者は、同じように仲間のありのままを受け入れようとする。すると、受刑者のなかに、互いに受け入れ、高めあおうという前向きの雰囲気が、自然と醸されてくるのだ。
少年刑務所のイメージが変わりました。刑務所の先生方は、受刑者の規律を正すために、厳しく接していると思ったからです。
なぜ、そのような人たちが、犯罪を犯してしまったのでしょうか。
少年刑務所とはいえ、ほとんどが二十代前半の青年。しかも、強盗や殺人、レイプなどの重罪を犯した人々だ。
そんな人々が、変わっていきます。それは、逆もしかりなのでしょう。
私が、犯罪を犯す側になる可能性だってあるのです。
だからといって、元受刑者を受け入れるのは、私には難しいです。
彼らの更生を成就されるには、二つの条件がある。一つは、彼ら自身が変わること。そして、元受刑者を温かく受け容れてくれる社会があることだ。
例えば、隣人が、強盗や殺人、レイプなどを犯した元受刑者だとしたら、私の心は穏やかではありません。温かく受け容れることなど、できません。
いくら、少年刑務所で人が変わったと言われても、その人をすぐに信用することはできません。犯した罪の事実に目が向くからです。
「元受刑者を温かく受け容れてくれる社会」は、幻想だと思ってしまいます。重罪を犯した人を、受け容れるのは、難しい。
少年刑務所では、先生方が受刑者をありのままに受け入れてくれていましたが、刑務所を出て学校や会社に行くとなると、そううまくはいかないでしょう。
残酷ですが、社会の側に「元受刑者を温かく受け容れる」ことを求めるのは、難しい気がします。刑務所を出たら「温かく受け容れられない」ことが多いと、受刑者側が受け止めなければ、刑務所内とのギャップに苦しむのは受刑者自身でしょう。
だから、決して犯罪者側にはなってはいけない。これは自分への戒めです。
調べた言葉
- 涵養:自然に水がしみこむように、徐々に教え養うこと
- 情操教育:心や人間力を育てる教育
- あでやかな:華やかで美しいさま
- 教誨師:受刑者に対し、その非を悔い改めるよう教えさとす人