子どもに依存する親
主人公は台湾人の女性で、日本の大学で日本語を教える非常勤講師です。
教え子の女性に、恋人のような存在がいます。
教え子は新疆ウイグル自治区出身で、日本の大学に通いながら、大学院を目指しています。
教師と教え子が、どのように恋愛関係へ発展したのかは描かれていません。
女性同士の恋愛が、今のご時世では当然のことだと言えるから、描かれていないのかもしれません。
ですが、私は気になる部分でした。日本の大学で、台湾と中国の女性が、それも教師と教え子の関係の女性が、どのように恋愛関係に発展したのかという部分です。
教師と教え子の視点が交互に描かれますが、
- 視点の入れ替えが頻繁
- 教師と教え子が似たような境遇(親からの過度な依存。他に好意を抱いている女性とうまくいかない)
なので、注意して読まないと、今読んでいるのが教師と教え子のどちらの視点なのか、わからなくなります。同じ人物の現在(教師)と過去(学生)の話かと思ったほどです。
ただ、似たような境遇なのは、中国や台湾では、親から過度な依存を受けている子どもが多いからではないかと思いました。
例えば、日本語教師の主人公は、子どもの頃、しつけに暴力が伴っていました。父は、
子供は叩かないと良い大人にはなれんのだよ
と言っていたようです。
主人公は、
両親のお蔭で私は良い大人になった。そして彼らの鞭も声も届かないところまで飛んできた
と、故郷を離れ、日本で暮らしています。
両親は昔から、私を従わせるために色々な手段を使ってきた。子供の時は体罰だった。それが通用しなくなった高校以降は金銭、つまり仕送りの額を減らすことで私を縛り付けた。そして若干苦しいながらも経済的に独立した今、彼らは家族の愛情というものに訴えるしかなくなった。
一方、主人公の教え子は、家族から帰ってくるよう言われています。教え子の父親が畑仕事で転んで意識が戻らないからです。ただ、意識はそのうち戻ると、医師から言われているようです。
主人公の親も、教え子の親も、子どもを自分の思い通りに従わせたがっています。
主人公も教え子も、新天地で努力しているのに、親はお構いなしです。
主人公が非常勤の日本語教師であることについて、父は、
大学院まで行ったくせに、結局アルバイトしかできないのか。だから理系を選べってあれほど言ったんだ。なのにお前ときたら、忠告に耳を貸そうともしないで、よりにもよって文学部なんかに入って!
なぜ、目標に向かって努力している子どもを、無理矢理引きはがし、手の届くところに置いておきたいのでしょうか。
親が、自分の人生ではなく、子どもの人生を自分通りにしたいのかもしれません。親自身の後悔を子どもの人生で晴らしたいのかもしれません。だから、子どもが自分の手から離れるとどうしていいかわからない……。
主人公も、教え子も、いざ家族に何かあったときには、駆け付けると思います。
主人公は、大学院受験に失敗した教え子に、
「日本に残ってほしい」なんて無責任なことは到底言えない。
と、教え子の選択を受け入れるしかないと考えています。
親も同様でしょう。親であっても、成人した子どもの選択には、要望はできても強制できるものではないと思います。受け入れるしかないはずです。最後まで、親との関係に良い兆しが見られなかったのが、やるせなかったです。
調べた言葉
- 蝗害(こうがい):イナゴが稲などを食う害
- 蛮夷(ばんい):中国周辺の未開人
- 漫(そぞ)ろ歩き:気の向くままに歩き回ること
- 人いきれ:人が多く集まっていて、熱気やにおいが立ち込めること
- 白皙(はくせき):肌の色が白いこと
- 稠密(ちゅうみつ):人や家がある地域に多く集まっていること
- 曳航(えいこう):船が他の船を引いて航行すること