風呂に入らない夫
35歳になる夫は、
風呂には、入らないことにした
と、主人公に宣言します。
なぜ、風呂に入らないのか、わかりません。
夫に聞いても、
くさくない?
(中略)
あとちょっと痛い
と、よくわからない理由です。
夫は以前、ずぶ濡れで会社から帰ってきたことがありました。主人公が理由を聞くと、後輩から水をかけられたと言います。
上司が後輩にビールかけて、その後輩がやり返そうとして、でも遠慮したのかな、ビールじゃなくて水のグラスをもって、でもなんか……上司じゃなくて、おれにかけてきたんだよね
水をかけられた夫がどう対応したかの、主人公の推測が細やかです。
夫は水をかけられたって、誰にも水をかけ返したりしない。なんだよやめろよと、ふざけた調子で笑いながら言って、思ったよりもぐっしょり濡れてしまうほど水がかかって焦っている後輩が差し出したおしぼりで、ぽんぽんと自分のシャツを拭き、帰り際にもう一度謝ってくる後輩に「いいよいいよ」と、いいよを二回重ねて言うような人なのだ。
夫はその日ショックを受けていたようですが、後輩に水をかけられた翌日も、出社していました。
主人公と夫は二人暮らしで共働きです。
なので夫は、風呂に入らず仕事に行くことになります。
風呂には入りませんが、
- ミネラルウォーター
- 雨水
- 川
と、身体を洗う水の種類を変えていきます。
石鹸もシャンプーも使わないので、夫の体臭はきつくなります。
夫は、主人公に、
どうしても、おれに風呂に入ってほしいの
と聞きます。主人公はひるんでしまいます。
わたしのためにどうしても入ってほしいのではなく、あなたのためにどうしても
と、夫の営業の仕事を心配しているようです。
夫は、主人公に相談せず、退職を決めました。川の近くに住むためです。
主人公も仕事を辞めることにします。
子どもがいた方がいいから作ろうとしたけど、できなかった。(中略)夫が風呂に入らなくなった。風呂には入った方がいいから、入れようとしたけど、入れなかった。川のそばで暮らした方がいいから、引っ越すことにした。
仕事を辞めた夫は、毎日水浴びに川に行きます。
主人公は、市役所の契約職員になります。
引っ越した家は田舎で、二人は周りを気にすることがありません。
わたしたちしかいないのだから、風呂に入った方がいいとか、風呂に入るなら石鹸を使った方がいいとか、そういうことを考えるのは、もう止めていいのだ。
夫が風呂に入らなくなったことで、口うるさく言う主人公の義母も、田舎までは来ません。夫は会社に行く必要もありません。自由です。
自由な生活が始まるところで物語が終わるかと思うと、謎を残して終わります。
豪雨による川の増水で、夫の行方がわからなくなります。
次の日には雨が止んで空は晴れた。けれど山に溜まった水が海へ流れきるまでには、さらに二日がかかった。三日後、まだ川の流れは強かったが、水の流れる両側に河原が見えるようになっていた。
夫についての言及はありません。あからさまに隠されています。隠されているということは、死んでいるか行方不明のままかでしょう。
主人公は、死から目を背けているからか、夫を探しているからか、豪雨による地形の変化を見つめます。
河原の岩の位置が変わっていた。小屋ほどもある大岩が水の力で動くのだとしたら、人間なんかは水槽に浮いている埃みたいなものだろうと思った。
水浴びに川へ行った夫が死ぬ(行方不明になる)のは当然だ、と言わんばかりです。
ただ、夫の行方を隠すことにどんな意味はあるのか、私にはわかりませんでした。
また、本作は三人称で書かれているのですが、文中に「わたし」が多用されているので、一人称で書いた方が自然だと思いました。主人公の主観的な視点が多いので、三人称に違和感がありました。