震災で行方不明になった知人
主人公の女性は、ドイツのゲッティンゲンに住み、論文を書いています。
そこに、東日本大震災で行方不明になった知人が来ます。大学のときに、主人公と同じ研究室に所属していた男性で、9年ぶりの再会です。
話しぶりや様子を見る限り、彼は普通の旅行者にしか思えなかった。
「普通の旅行者にしか思えなかった」とありますので、彼は普通の旅行者ではありません。幽霊です。
主人公は、
長い旅でしたね
と声をかけ、街を案内します。同じ研究室に所属していたとはいえ、距離感があります。
9年ぶりの再会であれば、
- 元気?
- どこ行ってたの?
とテンション高めか、泣き笑いしそうなものですが、主人公は状況を冷静に観察します。当時から友人の距離感ではなかったとしても、落ち着きすぎています。
仮に知人が幽霊して現れたとしたら、他に同じような現象が出ていないか、ネットで検索しそうですが、主人公はごく自然に受け入れています。
彼がゲッティンゲンに来たのは、語学学校の授業を受けるためでした。主人公は彼と連絡を取り合うことはしません。
私にとっての問題なのは、距離ではなく距離感の方だから。
と、彼と顔を合わせることをしません。いくら近い距離にいたとしても、その人との距離感が遠ければ、連絡を取れないということでしょう。
主人公は、彼の研究室時代と幽霊の比較について、
研究室の知り合いのような繋がりであったために、記憶の中に深く残る彼の似姿もほとんどなく、比べようがなかった。
とありますので、当時から距離感がある存在です。主人公の憧れの存在でもなさそうです。距離だけ近くなったからといって、急に親しくするのは難しいでしょう。
本作は、行方不明だった知人が9年ぶりに幽霊として現れる以外にも、
- 冥王星のモニュメントが、現れたり消えたりする
- 犬が、誰かの記憶にまつわる物を掘り出す
- 現在のゲッティンゲンの街に、過去の建築物や人物が現れてくる
- 主人公の背中から永久歯が生えてくる
など、奇怪で幻想的な現象が起きます。街や情景の描写が丁寧なので、目に浮かびます。
気になる点は、
- なぜ、主人公の背中から歯が生えてくるのがわからない
- 主人公がどうやって生計を立てているのかわからない
- 主人公が何もしていなく、何も変化していないように思える
あたりです。主人公に魅力を感じませんでした。
私が恐れていたのは、時間の隔たりと感傷が生き起こす記憶の歪みだった。その時に、忘却が始まってしまうことになる。(中略)私が訊ねた場所を歩いた足も、景色を映した眼も、潮の香りを捉えた鼻も、感覚的な記憶として留まらず、遠い物語的な記憶へと変容してゆく。その忘却の背後で、還れない人は死者以外にも多くいる。
主人公が、なぜ恐れているかわかりません。また、恐れているだけで何も行動していないように思えます。
記憶の痛みではなく、距離に向けた罪悪感
と、主人公は被災者でありながら、大きな被害を受けた人に距離感や罪悪感を抱いているだけで、何もしていない気がします。
知人が行方不明になっていることを、毎年3月に思い出すような主人公では、被災を抱え続けている人と比べ、何を言っても説得力に欠けます。そこに罪悪感や距離感を抱くなら、何かしたら? と思ってしまいます。
- 幻想的な街の描写(時間と記憶が入り混じった情景)
- 人間(幽霊)と惑星(準惑星)の対比
- 海に飲まれた場所と津波が届かなかった場所の対比
- 映像だけが記憶となるわけではないこと(触覚、嗅覚など)
は素敵なのですが、肝心の主人公が幽霊のようです。
調べた言葉
- 澄明(ちょうめい):澄んでいて明るいこと
- 荒涼:荒れ果ててものさびしいさま
- 律動:周期的に繰り返される運動
- 構いつける:あれこれ相手をする