歩きスマホに自らぶつかりにいく
著者の文章は読みやすいです。小説ですがエッセイを読んでいる感じでした。タイトルもエッセイっぽいです。
なぜエッセイっぽいかを考えると、日常生活に起こる、主人公の思考の流れが中心で、極端に描写が少ないからだと思いました。
例えば冒頭、主人公が歩く道の反対側から、男子中学生がスマホを操作しながら自転車でやってくる場面で、
一車線だけの狭い道
中学生らしい男子
と、シンプルな表現です。
舗装されている道なのか、でこぼこ道なのか。男子の顔立ちはどうなのか。文章からはわかりません。
主人公の思考の流れをメインにし、あえて描写を少なくしているのかもしれません。そのため、小説を読んでいるというより、エッセイを読んでいる気になりました。
主人公の25歳女性は、相手によって態度や言動を変えていることを、自分で意識しています。
歩きスマホをしている人に、
ぶつかったる。
と、避けずにぶつかろうと思うのは、中学生や女性に対してだけです。自分よりも体の大きい男性にぶつかろうとは思いません。
同姓の女性に対しても、相手によって態度を変えます。
例えば、結婚式について、
- 「素敵」だと話せる相手
- 「する意味が分からない」と話せる相手
がいます。
自分の中には心が二つあるのだと思う。裏と表、という単純なものではなくて。悪く言う方が裏で、裏が本当というのは違うだろう、という確信。
「悪く言うのが裏で、裏が本当というのは違う」という考え方は面白いです。
ただ、主人公の、自分だけが二面性を持っていて、相手には二面性がないと思っているような口ぶりに、違和感を覚えました。自分にだけ二面性があって相手には一面性しかないはずがありません。
また、気になったのは、ご都合主義的な部分です。
例えば、
- 交通事故に遭遇した相手が、近くのスーパーの店員
- 主人公とぶつかった男子中学生が、主人公の彼氏が教員をしている学校の生徒
- 主人公が、歩きスマホの人と何度も衝突しそうになる
など、偶然要素が重なります。
主人公は、彼氏の浮気が発覚した後、駅のホームで歩きスマホの人と衝突します。彼氏との関係がうやむやになったまま、物語は終わります。
- 歩きスマホする人への対応
- 浮気をした彼氏への対応
が中途半端に終わっています。
歩きスマホする人の対応について、
向こうの方から、スマートフォンに視線を落として歩いてくる男がいる。わたしはまっすぐに歩き続ける。どうか、と祈りながら。
とあるので、男性に対しても、主人公は避けないで歩くと決めたのでしょう。「どうか、」の後に続くのは「私に気づいてくれますように」だと思います。
ただ、気づいてくれた後、主人公はどうするのでしょう。
- 主人公が道を開けるのか
- 相手に道を開けてもらうまで主人公はまっすぐ歩くのか
と、次の問題が生じます。
また、浮気をした彼氏との関係は、どうなったかわかりません。
「別れたくはないよ」
と言う彼氏に、主人公はどう対応するのでしょう。何も決断を下さず、彼氏が主人公の大切さに「気づいて」くれることを待つだけな気がします。
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