4コマ漫画を媒介にした世界
小学4年生の主人公は、学級新聞に4コマ漫画を載せています。
ある日、担任の教師から、他の生徒の漫画も載せていいかと聞かれます。学校に来ていない生徒の作品のようで、主人公は、
学校にもこれない軟弱者に漫画が描けますかねえ?
と馬鹿にします。
しかし、掲載された不登校の子の作品を見て、絵のうまさに主人公は驚きます。
4年生で私より絵ウマい奴がいるなんてっ
絶っっ対に許せない
と走りながら泣き叫びます。
泣き叫んで終わりではなく、絵をうまくなる方法を探し、とにかく絵を描きます。
日に日にたまっていく、デッサンの参考書。描き続ける主人公。
- 負けを認める
- 逃げずに努力する
この2点を、私は小学4年生の主人公から学びました。
自分よりできる人に会ったとき、負けを認めたくなくても、すごいと思っているという意識からは逃れられません。
勝てないところで戦っても意味がないと、やめたくなります。ですが主人公は、圧倒的な力の差を見せつけられても逃げません。努力せずに諦めるという選択もあるのに、主人公は逃げずに努力します。
悲しいことに、主人公が努力しても、不登校の子との差は埋められません。絵の技術の向上はさほど見られませんでした。
努力すれば必ずできるようになる、と簡単に思わせてくれないのが、現実的です。
頑張っても敵わないとわかり、主人公は学級新聞に4コマ漫画を描くことを辞めます。そして小学校の卒業を迎えます。
担任から、不登校の子に卒業証書を渡すよう、主人公は言われます。しぶしぶ了承して家に向かいます。そこで見たのは、主人公とは比べられないクロッキーの枚数です。不登校の子は、主人公以上の努力家だったのです。
主人公は卒業証書を手渡さず、引きこもりを揶揄した4コマ漫画を描きます。主人公の手が滑って、その4コマが不登校の子の部屋に入ってしまいます。
その4コマを見て、不登校の子が主人公に気づきます。その子は、学級新聞に描かれていた主人公の4コマが好きでした。
ファンです
(中略)
漫画の天才です
と主人公は言われます。
漫画を諦めたはずの主人公は、帰り道、一人歓喜します。セリフがなくとも、主人公の喜びは伝わってきます。帰ってすぐに漫画に没頭します。
中学生になり、主人公と不登校の子は、2人で漫画を描きます。賞に応募して、佳作を獲ります。
順風満帆に見られた2人の生活でしたが、不登校の子が美大に行くために、2人で描く生活に終わりを迎えます。
そして、美大で起きた事件に巻き込まれ、不登校の子は殺されます。
大学内に飾られている絵画から自分を罵倒する声が聞こえた
というのが、犯人の言い分です。不登校の子が描いた絵のことでしょう。
「自分を罵倒する声」が聞こえる絵画。不登校の子が描いた絵の形容が的確です。
不登校の子の描いた絵を初めて見たときに、主人公が抱いた印象もそうだったように思います。
主人公は、不登校の子を外の世界に連れ出したことに、責任を感じます。
引きこもったままにしておけば、絵の上達を求めなければ、美大に入学したいと思わなかったのに。美大に入学しなければ、殺されることもなかったのに、と主人公は自分を責めます。
亡くなった不登校の子の家で、その子に向けて主人公が初めて描いた、引きこもりを揶揄する4コマ漫画を破ります。
私があの時……
漫画描いたせいで……
破られた4コマ漫画が、時空を超えて過去の不登校の子の手に渡ります。
結論から言うと、主人公が不登校の子に出会わなくても、その子は美大に進学していました。主人公が小学校の卒業証書を不登校の子に渡す日に、2人が出会わなかった世界線が描かれています。
主人公の、引きこもりを揶揄した4コマ漫画が、不登校の子にうまく渡らなかった(現実の主人公が破いた4コマ漫画の一部)ために、2人が出会わない世界線です。
その世界で、主人公は、美大に通う不登校の子を助けます。
助けられた不登校の子は、主人公と同じタッチの4コマ漫画を描きます。その4コマ漫画が、現実(不登校の子が殺された世界線)の主人公の手に渡ります。
4コマ漫画を媒介とした世界で、2人が間接的に会話しています。
主人公の責任で不登校の子が死んだのではないという救いの一方で、人間の選択は他人にどうこうできるものではないという現実的な印象を受けました。