泣き叫ぶ我が子を見て「ざまぁみろ」
自分の幼い娘が泣いていても、主人公は無言で見つめています。
ふいと口元から、溜息のように、溢れるように、零れました。
「ざまぁみろ――」
無意識にこぼれ出た「ざまぁみろ」は、愛情とは真逆です。
ちょうど帰ってきた夫が、娘をあやし、主人公は我に返ります。
私の瞳からは次々に涙が溢れ、生温かいものが耳や髪の毛まで濡らしていきました。
それ以降、娘が突然泣き叫ぶことはなくなったので、主人公による虐待の加速は免れます。
主人公は、なぜ、泣き叫ぶ娘を見て「ざまぁみろ」と言ってしまったのでしょう。
そもそも、「ざまぁみろ」は、誰に向けた言葉なのでしょうか。
目の前にいる娘に向けた言葉とするのが順当ですが、いくら我を忘れていたとはいえ、自分の娘に「ざまぁみろ」という言葉を放つでしょうか。
以前、主人公は、娘が泣き叫ぶのは病気のサインではないかと思い、病院で医師に見てもらったことがあります。
夜驚症というらしく、乳幼児によくある症状なのだそうです。根本的な原因があるわけではなく、脳の作りや性格によるものが殆どで、しばらく様子を見ていれば大抵はすっかり治ると、医師は述べました。
一方で、年配の看護師は、
寂しいんですよ、そう言いました。ママがたくさん愛情を注いであげれば、(中略)安心して、ぐっすり眠れると思いますよ。
病院の受診後も、娘の夜驚症は続きます。誰にも頼ることができない主人公は、娘と二人きりで過ごします。
不眠のまま、掃除、炊事、洗濯をして、赤子の世話もして、散歩をすることすら儘ならず、私の心身は消耗していきました。
主人公は、娘を無視していたわけではありません。世話をしていました。なのに、夜驚症は治りませんでした。
「ざまぁみろ」の矛先は、娘ではありません。
矛先は、愛情を注げばぐっすり眠れるようになると言った、年配の看護師に向いていると、私は考えます。愛情を注いでも、安心してぐっすり眠れないじゃないか、適当なこと言いやがって、「ざまぁみろ――」。
では、主人公は、なぜそこまで年配の看護師を敵視しているのでしょう。
看護師自身の憶測でものを言い、主人公を不安にさせたことは一つの要因でしょう。ただ、それだけではないと思います。
女性なのにきちんとした仕事をもっていることへの嫉妬も、含まれていると思います。
主人公は、大学のときにバイト先で知り合った男性と結婚したので、仕事をしていません。
主人公は、他人と境遇を重ね合わせています。娘に対しても例外ではありません。娘と幼少期の自分を重ねています。例えば、スイミングスクールに通うことについてです。
- 娘:愛犬の死の翌日、娘が通いたいと言った。
- 主人公:母親に連れていかれた。そして突然辞めさせられた。
主人公が通っていたスイミングスクールの先生は言います。
平泳ぎを覚えて辞めてしまう生徒が多いけど、バタフライを含めて四泳法だからね。子供の頃に、一つの事項を最後までやり通したという経験は、生きていく上で自信に繋がるものだと先生は思うよ。
主人公は、バタフライを習得せずにスクールを辞めさせられてしまいました。
娘の水泳の上達は早く、主人公は、
もっとゆっくり進級してくれればいいのに、などと考えたりもします。
主人公は、自分が最後までやり通せなかった四泳法を、娘に早く達成してもらいたいとは思っていないようです。
主人公が突然癇癪を起こし、娘をスイミングスクールに通わせなくなるのではないかと、ひやひやします。
収録作『短冊流し』の感想はこちらです。