若手時代の対談
村上龍さんと村上春樹さんの対談です。
対談は2回、
- 1980年7月29日
- 1980年11月19日
に行われています。
時期としては、
- 村上龍さんが『コインロッカー・ベイビーズ』を書いた後
- 村上春樹さんが『羊をめぐる冒険』を書く前(『街と、その不確かな壁』を書いた後)
2人がまだ若手作家だったときの対談です。
村上龍さんは、
- 『限りなく透明に近いブルー』
- 『コインロッカー・ベイビーズ』
で、すでに売れている作家です。
村上春樹さんの作品は、
- 『風の歌を聴け』
- 『1973年のピンボール』
と、そこまで売れている様子はありません。ただ、やりたいことは明確です。
僕がやりたいと思うのは僕なりに世界、あるいは外国と言ってもいいんだけど、と交信し、そこから日本的な状況に向けてフィードバックしたいっていうことなんですよ。そういう捉え方がひとつくらいあったっていいんじゃないかって思う。
外国文学を取り入れて日本向けに発信するということでしょう。デビュー当時、アメリカ文学と比較されていたのは、そのせいかもしれません。
村上龍さんは日本文学に否定的で、
日本文学の主流って何かというとね、何かすごいつまんないものが延々とこうあったような気がする。(中略)退屈でね。どうでもいいようなものが並んでるような気がするわけ。
村上春樹さんは日本文学は読んできていなかったようですが、
- 『アメリカンスクール』
- 『プールサイド小景』
- 『忍ぶ川』
は面白いと言っています。
村上龍さんも、『アメリカンスクール』は好きだと言っています。
村上春樹さんは、バーの経営をしながら執筆しています。
三、四年先も書いてるだろうと思うわけ。ただ、十年先となると、ほんとにわからない。そういう不安を抱えながら、ものなんて書けないよ。ダメならダメで、飯食っていけるあてがないと、ダメですね。
作家で食べていけるかわからないと不安をこぼしています。
村上龍さんは、村上春樹さんの作品を褒めています。
本当に気持ちよく読める小説というのはいままでなかったんじゃないかと思うよね、『風の歌を聴け』とか『ピンボール』まで。
確かに、村上春樹さんの作品は、気持ちよく読めます。
また、村上龍さんは『街と、その不確かな壁』に助言をしています。
『ピンボール』と『風の歌』と、『街とその不確かな壁』でしたっけ、あれはね、おそらく対なはずの作品じゃないかと思うわけ。(中略)枚数とか、そういうのはまったく関係ないけれども、ぼくは裏地としての『街とその不確かな壁』の続篇とかね、あれに類するものをもっともっと書いたほうがいいと思うんですよね
村上春樹さんがこの助言を受けてかは不明ですが、『街と、その不確かな壁』は、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』という長編に生まれ変わりました。
一方、村上龍さんは、村上春樹さんの作品から影響を受けているようです。
長いものを書く。
登場人物達の出会いと反応を克明に書く。「会話」を軽視しよう、そして登場人物の行動で物語を進めよう。
熱狂を書く。
そのためには、イメージは最初から全開でなければいけない。
こうしてできたのが、『コインロッカー・ベイビーズ』なのかもしれません。村上龍作品で一番夢中になれるし、これほど生命力あふれる作品を他に知りません。
本書で良いのは、対談後にお互いのことを書いている点です。
その中でも、村上龍さんが書いた「村上春樹のこと」が、二人の関係性を描いています。
知り合ったばかりの音楽好きの少年が二人、部屋でレコードを聞いている。(中略)暗くなった頃、一人が「いいなあ」と言って、もう一人がうなずいただけで、二人の少年はお互いの部屋へと帰っていく。二人の少年は、それぞれの部屋で、ギターの音を思い出しながら、僕らが演奏家だったらいいのになあ、と考える。
(中略)
小説家は、同じ曲を演奏することができない。
村上龍さんの文章が、小説の一場面のような情景を描きつつ、村上春樹さんへの信頼も示しています。
これを読んだ村上春樹さんがどう思ったか、知りたかったです。『コインロッカー・ベイビーズ』を読み終わってすぐ電話で感想を伝えたときのように、「龍さん、あれ良かったよ」と電話していたらいいのにな、と思いました。