『幸せになる勇気』を読んで
私の現在の状況は、
- 司書資格あり
- 司書とは関係のない仕事をしている
- 若手から中堅に移る時期
そんな私が、未経験で図書館司書の転職を目指す意味はあるのかを考えました。
司書を目指すことには決めたのですが、司書を目指す意味を、突き詰めて考えてしまいました。
意味を考えるより勉強した方がいいのでは、という声が聞こえそうですが(私も勉強した方がいいと思います)、考え始めてしまった以上、仕方ありません。
ちなみに、未経験で司書の転職を目指すことについては、こちらで書いています。
司書を目指す意味は、さほどないような気がしていました。
司書の仕事であれ、司書以外の仕事であれ、仕事には変わりありません。
なので、休日のような、一日何をしてもよい日にはなりません。
仕事をするということは、
- 出勤しなければならない
- 職場にいなければならない
- 電話に出なければならない
- 接客しなければならない
- 同僚と会話しなければならない
など、しなければならないことが多く発生します。その代わり、給料を受け取ることができるので、生活することができます。
今の仕事でも、司書の仕事でも、しなければいけないことが多いのは変わらないでしょう。
では、私はどうしたいのか。
『幸せになる勇気』を読みました。私の考える幸せは、「○○しなければならない」がない状態でいることです。
本書は、青年と先生による対話形式で、アドラー心理学をもとに書かれています。
本書で、私が司書の転職を目指す意味とリンクする部分を、いくつか抜粋します。
すべての仕事は「共同体の誰かがやらねばならないこと」であり、われわれはそれを分担しているだけなのです。
確かに、
- 私の現在の仕事
- 司書という仕事
どちらも誰かがやれねばならない仕事には変わりありません。
人間の価値は、「どんな仕事に従事するか」によって決まるのではない。「その仕事にどのような態度で取り組むか」によって決まるのだ。
現在の仕事を続ける私も、仮に司書という仕事に就いた私も、人間の価値は変わらないのでしょう。
ですが、「仕事に取り組む態度」は、変わるような気がします。
そう思ったのは、本書の以下の部分を読んだからです。
われわれはみな、「わたしは誰かの役に立っている」と思えたときにだけ、自らの価値を実感することができるのだと。
(中略)
「わたしは誰かの役に立っている」という主観的な感覚があれば、すなわち貢献感があれば、それでいい。それ以上の根拠を求める必要はない。貢献感のなかに、幸せを見出そう。
私が感じたのは、現在の仕事よりも司書の仕事の方が、「誰かの役に立っている」と思えるのではないか、ということです。
それは、国会図書館で受けた対応で感じたことです。詳しくはこちらで書いています。
情報を欲する利用者に、私は司書として情報の提供に努めます。できることは何でもするという真摯な態度で、司書の仕事をできるでしょう。
さらに、情報を利用者につなげることができたら、私は役に立つことができたと、貢献感を得ることができるでしょう。
その点で、司書を目指す意味はあるのかもしれないと思いました。
われわれは仕事の関係を通じて、自分が誰かの役に立っていることを実感するでしょう。われわれは交友の関係を通じて、自分が誰かの役に立っていることを実感するでしょう。だとすれば、幸せはそこにあるのです。
司書という仕事で、幸せを実感できるとしたら、幸せになる勇気とは、司書を目指すことになるでしょう。転職という行動には、勇気が必要です。
それでも、司書を目指す意味があると断言できないのは、幸せになる勇気は、司書の仕事だけでなく、今の仕事にも通じるのではないかと感じたからです。
私は、今の仕事でも、誰かの役になっていること(貢献感)を実感できます。
役に立つレベルで言えば、今の仕事をより誠実に取り組んだ方が、貢献感の向上は早く見込めるでしょう。
ですが、司書を目指すことに決めました。意味はないのかもしれません。それでもやり切ろうと思います。
未経験で司書の転職を目指した結果がこちらです。