痛々しいが憎めない登場人物
主人公は、娘のために存在すると言っても過言ではない母親です。
今、私には娘だけがいる。まずやるべきこと。娘のために朝食を用意する。(中略)娘を産んでから、娘の朝食の用意を忘れたことはいちどもない、いちども。
主人公の娘は14歳の中学生。YouTubeチャンネルを運営しています。
先進国で恵まれた暮らしをしている人たちに、世界の悲惨な現状を知ってもらうこと
をコンセプトに、情報を発信をしてています。
父は外資系企業で働き、母(主人公)は専業主婦、娘はインターナショナルスクールに通っています。
世界の悲惨な現状を知ってもらうチャンネルにしては、「誰がどの立場で言ってんの?」と突っ込まざるを得ないほど、裕福な家庭で育っています。
娘は知能が高く、母親を馬鹿にしています。
お母さんは空っぽだから
とクリアな日本語で放ちます。
一方、母親は、お金をぞんざいに扱う娘に対して、
お金だってね、色んなところを旅してきて、くたびれているんだよ。乱暴したらかわいそうでしょ。
と言ったり、スマホの毎日の通知に、
今日も手をあげなかった?
と表示するよう設定したりしています。
母も娘も痛々しいです。互いの長ゼリフに辟易する箇所もあります。
ですが、一気に読めました。
平易な文章で読みやすいのもありますが、登場人物の魅力がなくても、憎めない部分があるからです。
- 母親を馬鹿にしていても、内面では母親を心配している娘
- 娘の教育のために教育関係の本を読んできた母
娘はYouTubeで、
娘っていうのは、こんなにいつでも、お母さんのことを考えてばかりいるんだろうって、そのことがたまらないんですよ。お母さんだけが私にとって特別なのはどうしてだろう。
と、発信しています。
ただ、この発言が、
- 太宰治の『女生徒』を読んだ直後の一過性のものなのか
- 娘の本心から出てきた言葉なのか
は不明です。私は本心に聞こえました。
なぜ、本心かどうかを気にするのかというと、母が心療内科の先生に、
直接じゃなかったら聞いてないのといっしょだって僕は言ってるの。もうSNSとかじゃなくて動画とかじゃなくてね、そう何でも、ちっちゃな画面の中だけで想像するのではなくてね、しっかりお子さんと向き合って話されてくださいよね。
と言われているからです。
娘の発言(お母さんのことを考えてばかりいる。お母さんだけが私にとって特別)は、YouTubeを通してであって、母に向かって話されているわけではありません。
とはいえ、14歳の中学生が母親に面と向かって話していることだけが本心だとは思えません。むしろ動画の方が本音を話せる気がします。
逆に、母が娘に面と向かって言った、
私は、自分の娘と小説の話がしたい者。二十も歳の離れた女の子と、数少ない共通の話題で、どうにかコミュニケーションをとろうと、努力する者
は、本心に聞こえます。
娘の発言をYouTubeで聞いた母が、翌日に娘とどう関わるのか気になりました。
小説について娘が言う、
小説は嘘でしかないよ。作家が自分好みの文章を使って、現実にはありもしないことを個人の妄想で好き勝手書いているだけなんだから、全然客観的じゃないし現実じゃない
に、私は納得しました。そして小説の良さはそこにあると感じました。
小説は客観的でないし現実でないかもしれませんが、現実を生きるために活かせる可能性があるものだと。
その点、この小説が私の現実に活かせるかというと、微妙でした。