いっちの1000字読書感想文

平成生まれの社会人。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『我が友、スミス』石田夏穂(著)の感想【別の生き物になりたい】(芥川賞候補、すばる文学賞佳作)

別の生き物になりたい

主人公は30歳の女性仕事終わりにジムで筋トレに励んでいます

フィットネス感覚ではなく、徹底的に体を鍛える、ガチな筋トレです。

スミスとは、筋トレマシンの名前です。

バーベルの左右にレールがついたトレーニング・マシンである。(中略)危なっかしいチャレンジングな高重量も、スミスなら比較的安全に扱えるのだ。

主人公が一年ほどジムで筋トレしていると、元ボディビルダーの女性から大会への出場を勧められます

うちで鍛えたら、別の生き物になるよ

大会の出場を勧められた主人公は、筋トレを始めたきっかけを思い出します。

そうだ、私は、別の生き物になりたかったのだ

別の生き物になりたいと思ったきっかけが何かは、明示されません。

もしかすると、会社と自宅の往復が日常だった主人公にとって、ジムで筋トレに没頭することが、雑念を取り払う手段だったのかもしれません。

大会に出場することを決めた主人公は、筋トレに追い込みをかけます。

どの世界においても、最初は基本を身につけ、基本を自分のものにすること。天才ではないなら、まずは模倣を極めることが、この競技に限らず、一流になるための最短距離だということ

主人公は、ジムで教えてもらいながら、メニューをこなしていきます。

変わっていく体を見て、

自分のことを美しいと感じ、そして、好きだと感じたのは、ほとんど初めてだった。(中略)筋トレなる手段により、忽然と姿を現した。

勝ちたい。

大会の評価基準は、筋肉だけではありませんでした。「女性らしさ」を求められるのです。

  • ハイヒールを履く
  • 脱毛をする
  • 日焼けをする
  • 笑顔をつくる
  • ビアスを開ける
  • 濃い化粧をする

筋肉とは関係ないことまで求められることに、主人公は抵抗がありました。

この競技は、世間と同等か、それ以上に、ジェンダーを意識させる場なのだ「女らしさ」の追求を、ここまで要求される場を、私は他に知らない

「別の生き物になりたい」と思って始めた筋トレだったのに、大会は世俗と同じだったのです。

それでも主人公は大会に参加します。

大会前、舞台の裏で一人主人公は腕立て伏せに励んでいると、奇妙な感慨が芽生えます

私は、自分は幸せだと感じたのである気の済むまで、誰にも邪魔されず、自分の身体を鍛えられることそれだけの時間と、金と、環境と、平和と、健康な身体が、私の手中にあること。つまり、私は、例えようもなく、自由だということ。

(中略)

これ以上、一体、私が何を望むだろう。

主人公のことをうらやましく思うと同時に、自分も頑張ろうと思わせてくれる作品でした。

「別の生き物になりたい」と願ったところで、行動を変えなければ別の生き物にはなれません。そう頭の中ではわかっていても、行動を変えることは簡単ではありません。

ましてや、行動を変えたからといって、別の生き物になれる保証はありません。

それでも、主人公は行動し、別の生き物になっています

肉体的変化は当然ですが、軸ができて精神的にタフになっています。

目の前には、鍛えるべき身体がある鍛えるための器具はある。そして、頭の中には、自分で決めた、ゆるぎない理想の身体がある。他に、一体何がいるだろう。

文章は読みやすく、語りにユーモアがあります。

この方の次の作品も読みたいと思いました。 

調べた言葉

  • 旧弊:古い思想・制度などの弊害
  • 御仁(ごじん):他人の尊敬語
  • 得心(とくしん):十分に承知すること