小説のオリジナリティー
村上さんが小説家としてどう歩んできたのか、読みやすい言葉で語られます。
小説を長く書き続けること、小説を書いて生活していくこと、小説家として生き残っていくこと、これは至難の業です。普通の人間にはまずできないことだ、と言ってしまっていいかもしれません。
新たなものを生み出し続ける小説家という職業は、大変だと想像できます。
小説家として生き残っていくために、村上さんは、「何か特別なもの」が必要だと言います。
それなりの才能はもちろん必要ですし、そこそこの気概も必要です。(中略)運や巡り合わせも大事な要素になります。しかしそれにもまして、そこにはある種の「資格」のようなものが求められます。(中略)もともとそういうものが備わっている人もいれば、後天的に苦労して身につける人もいます。
ある種の「資格」が何か、名言されません。視覚化も言語化もできない種類のものだそうです。
小説家として生き残っていくためのある種の「資格」について、本書を読んで私が感じたのは、「持続力」です。
小説家として生き残っていくには、日々の執筆を、地道に淡々と続けることが、必要だと思います。
村上さんがマラソンや水泳を続けるように、日々の執筆を持続できることが、ある種の「資格」だと考えました。
ある種の「資格」を「持続力」だと仮定すると、村上さんは、マラソンや水泳を通じて、「持続力」を後天的に苦労して身につけたのはないでしょうか。
マラソンや水泳で、地道に淡々と続ける体力をつけ、日々の執筆に活かしているというわけです。
仮に、村上さんが持続力を後天的に身につけたのだとしたら、継続できない私も、継続できるようになるかもしれないと、期待を抱くことができました。
また、村上さんはオリジナリティーについて語ります。
- ほかの表現者とは明らかに異なる、独自のスタイルを有している。ちょっと見ればその人の表現だと瞬時に理解できなくてはならない。
- そのスタイルを、自らの力でヴァージョン・アップできなくてはならない。
- その独自のスタイルは時間の経過とともにスタンダード化し、人々のサイキに吸収され、価値判断基準の一部として取り込まれていかなくてはならない。あるいは後世の表現者の豊かな引用源とならなくてはならない。
村上さんの作品は、上記1から3を満たしてます。
- 文章を見れば村上作品だとわかりますし、
- 作品ごとにヴァージョン・アップされてますし、
- 後世の表現者の引用源にもなっています。
私は、このオリジナリティーが、小説家になる最大の関門だと感じました。
村上さんは、デビュー作『風の歌を聴け』を書くときに、新しい言葉と文体を必要としたそうです。
僕が心がけたのは、まず「説明しない」ということでした。それよりはいろんな断片的なエピソードやイメージや光景や言葉を、小説という容れ物の中にどんどん放り込んで、それを立体的に組み合わせていく。そしてその組み合わせは世間的ロジックや文芸的イディオムとは関わりのない場所でおこなわれなくてはならない。
『風の歌を聴け』は、説明が最小限で、断片的なエピソードが放り込まれています(世間的ロジックや文芸的イディオムが何か、私にはわからないので、その部分は不明です)。
そして『風の歌を聴け』は、今でも新しさを感じる、オリジナリティーある小説だと言えます。
小説家としてデビューするには、
ほかの表現者とは明らかに異なる、独自のスタイルを有している。
ここが重要だと感じました。
しかし、独自のスタイルが、今の時代どのようなものかというと、難しい問題です。
少なくとも、他の作品に似てると思わない(思われない)小説であることが必要でしょう。