芸術は人間を救えるか
ピースの又吉直樹さんの解説が良いです。
様々な作家が人間を描こうと多種多様な鍬(くわ)を持ち土を垂直に掘り続けてきた。随分と深いところまで掘れたし、もう鍬を振り下ろしても固い石か何かに刃があたり甲高い音が響くばかり。(中略)今度は垂直に掘り進めてきた穴を横に拡げる時代に突入した。
(中略)
そんな世界に於いて、中村文則という稀有な作家はこれ以上掘り進めることはできないと多くの人が諦観するなか、鋭く研ぎ澄まされた鍬を垂直に強く振り下ろし続けていた。
本作に斬新さはありません。新鮮さもありません。
中村さんは人間を描こうとしています。又吉さんの言うように、愚直に人間を掘り下げて書いています。
もうすぐ30歳になる主人公は、刑務官をしています。
主人公が担当するのは、控訴しなければ死刑が確定する20歳の男です。その男は夫婦を殺害し、マスコミで話題になっていました。男は控訴をするつもりはないようです。
主人公は、刑務官10年目になることもあり、そろそろ死刑執行の任務を与えられる立場になってきました。
主人公と20歳の男には、児童養護施設育ちという共通点がありました。
ただ、大きく異なる点がありました。
主人公には見守ってくれる施設長がいましたが、20歳の男にはそのような存在がいませんでした。
施設長は、主人公のことを、厳しくも温かく見守ってくれました。
施設長は、主人公の無知を指摘します。
ベートーヴェンも、バッハも知らない。シェークスピアを読んだこともなければ、カフカや安部公房の天才も知らない。ビル・エヴァンスのピアノも。
(中略)
お前は、まだ何も知らない。この世界に、どれだけ素晴らしいものがあるかを。俺が言うものは、全部見ろ
主人公は、施設長の言った作品に触れていきます。難解な作品については自分の意見を施設長に言います。
施設長は、
自分の好みや狭い了見で、作品を簡単に判断するな
自分の了見を、物語を使って広げる努力をした方がいい。そうでないと、お前の枠が広がらない
と言います。
芸術への触れ方を学んだ主人公は、刑務官になります。
主人公は刑務官として、20歳の男に芸術の触れ方を伝えていきます。
芸術作品は、それがどんなごく悪人であろうと、全ての人間にたいしてひらかれている
確かにそうです。ただ、芸術作品への受け取り方は、人によって異なります。
芸術作品を理解できない人もいます。自分の了見を物語を使って広げる努力ができず、わからないと一蹴してしまうこともあるでしょう。私もあります。
理解できない人に手を差し伸べる施設長がいたから、主人公は生きてこれたのだと思います。
再度又吉さんの解説を抜粋します。
本屋に置かれていないサルトルの『出口なし』を引き合いに出して、(中略)「世の中の需要」=「作品の素晴らしさ」ではないということに言及する場面は創作を生業とする者の端くれとして感動したし励みになった。
私は昨年図書館員の試験を受け、面接で落ちました。詳しくはこちらです。
私が図書館でやりたかったことは、需要に関係なく素晴らしい作品を、書庫から引っ張り出し、来館者の手の触れる場所に簡単な紹介文をそっと添えて置いておくことだったかもしれません。
同時に、それをこのブログでやればいいと思いました。
需要に関係なく、素晴らしいと思う作品の感想を書けばいいと思わせてくれました。