小型カメラから見る世界
「眼球達磨式」というタイトルに、怪しくも引き付けられました。
一体何のことでしょうか。
ごく小さい機体で、手のひらに包み込むことのできるサイズ感。眼球を連想させる球体の合成樹脂ボディは、中央から黒目様のレンズが隆起している。左右を二輪で支えられ、後方へはアンテナが飛び出す。
タイヤがついている小型カメラです。
ラジコンのように遠隔操作のできる小型カメラを、主人公は購入します。
主人公は、デパートで働いている男性です。
不審者が出るという噂を聞き、防犯カメラが気になっていました。
主人公は、毎日の仕事終わり、小型カメラを操作します。
魚眼レンズの効果で、画面の中心ほど大写しになり、一方で円周へ遠のくほど、平たく潰れていく。
小型カメラの映り方は、玄関のドアについている丸形のスコープに近いです。
小型カメラの視点で物語は描かれます。
文藝賞選考委員の磯﨑憲一郎さんは、選評で以下のように書いています。
保坂和志さんがある新人賞の選評で、候補作の中に、何らかの新しい要素を小説の世界に持ち込んでいる作品があったならば、その理由だけでその作品は認めてあげるべきだ、合格なのだという主旨を書いていたように憶えている
本作には、何らかの新しい要素があるというわけです。
新人賞の受賞には、新しい要素があれば受賞の可能性があると、示唆されています。
では、磯﨑さんの言う新しい要素が何かというと、
一見テクノロジーのようでテクノロジーとは明らかに異なる、言葉による新たな視点という発明を、小説の世界に持ち込んでいる。
小型カメラの視点で物語を描いていることが、新たな視点と言えるのでしょう。
確かに、他の作品には見られない新しさを感じることができました。
このような作品を書ける作者の技術に感心しました。
ただ、正直に申しまして、だから何? と思ってしまいました。
小型カメラを通した世界を描く視点や、その世界を描写する文章力は、目を見張るものがあります。
小型カメラを操作する人間ではなく、小型レンズそのものを主人公にしてしまうたくらみも、面白いです。
しかし、AIが描いたかのような無機質さのためか、作品にどうも心が動かされませんでした。
カメラを通して世界を傍観しているだけで、人間が世界に介入しないまま、あるいは人間が翻弄されたまま、物語が終わっているように感じました。
そこには、主人公(デパートで働いている男性)の葛藤はなく、外部になされるがまま誘導されており、主人公に変化はありません。
技巧的なたくらみには感心しましたが、この作品を読んで良かったという思いは、残念ながら抱きませんでした。
島本理生さんの選評に、
私には意図を図りかねるところもあったが、理解できる人には面白い作品なのだろう、と思わせる魅力があった。
私は理解できない側の人間でした。