育児放棄の末路
主人公は認知症で、デイサービスや訪問ヘルパーを利用しています。
ある日、主人公は、通院に同行したヘルパーから、聞かれます。
カケイさんの人生は、しあわせでしたか?
カケイとは、主人公の名前です。
自分の人生についてしあわせだったかとたずねられても、考えたことがないから、正直言って、わかんない。
そう言いつつも、主人公は自分の人生を語り始めます。
- 主人公が生まれてすぐに母が死んだこと
- まま母に殴られていたこと
- 飼い犬の乳を飲み、かあちゃんと呼んでいたこと
壮絶な人生が語られます。
その後、主人公が結婚し、子どもを産むと、夫は蒸発しました。
夫は、連れ子(息子)を置いたまま、家を出ました。
夫の連れ子と主人公の年齢は、8つしか離れていなく、主人公は母親とみなされませんでした。
主人公は、連れ子により妊娠させられます。
道子と名付けられた子どもを、主人公はかわいがります。
主人公は、生活するために、ミシンを踏み続けました。
タイトルにある「ミシン」は、主人公が生計を立てていた手段です。
ですが、ミシンに没頭するあまり、生まれた子ども(道子)の世話がおろそかになりました。
背中から道子をおろして、火鉢の金魚に子守りさせて、ミシン仕事は、はかどった。
主人公は、金魚に見入る道子を放置し、ミシンを踏み続けます。
日が暮れ、主人公が道子の様子を見に行くと、道子は、金魚が入ってる火鉢の水を、靴ですくって飲んでいました。
のどがうんと渇いて、腹もうんとへって、なん度もおんなじことをやってたんだ、と、わかった。
そんで。
夜んなって、熱出して、道子は、死んだ。
道子は、3歳になる前に亡くなりました。
タイトルの「ミシンと金魚」。
主人公が没頭したものはミシンであり、代わりに子守りさせたのは金魚でした。
金魚は当然、子どもに水や食事を与えることはできません。
ミシンを踏まなければ、主人公の家族は生計を立てられません。
しかし、主人公が子どもにご飯を食べさせる暇すらなかったとは思えません。
主人公が行っていたことは、虐待でしょう。
過去を振り返って、
あたしは、道子にあえて、良かった。
(中略)
あたしには、しあわせな時期が、たしかにあった。
とは、子どもを亡くしてしまったけども、子どもがいた時期は幸せだった、ということでしょう。
私は、加害者側の美談になっていると感じました。
育児放棄して子どもを死なせてしまったけれど、子どもがいた時期は幸せだったというのは、死んだ子どもの側からしたら、たまったものではありません。
望まぬ妊娠で生まれつつも、生をまっとうし始めた人間が、どうして死ななければならなかったのか。
主人公は幸せだったのかもしれません。それは生きているからこそ言えることです。
死んでしまった子どもの立場はありません。
私は、主人公には悔やんでいてほしいのかもしれません。子どもがいた期間は幸せだったという主人公の考えは、自分で語るのではなく、他人(例えばヘルパーさん)から気づきとして与えられるものでないかと思いました。
育児放棄しておきながら、その子どもと過ごした時期は幸せだったという結論には、同調できませんでしたが、デイサービスの老人の死は寂しくないという考え方に、興味を抱きました。
ここまできたら、生きてたって死んでたって、どっちだっておんなじだもの。船の鼻っつらに陣取って、むこう岸に足伸ばして、すこうしずつ足伸ばしてって、なんかの拍子にひょいと渡れっちゃうようなもんだもの。
三途の川の渡り方の表現が面白かったです。