見逃してはいけない言葉
主人公は、大阪の児童養護施設で暮らす小学5年生です。
主人公の視点で語られます。
祭りで買ったアメリカンドッグを食べていると、
根もとが白なった短い茶髪の毛が出てきた。引き抜いて、なかったことにするために大急ぎで食べ終わった。
小学5年生とは思えない対応です。
私が小学5年生のときなら、店員や親に言っていたでしょう。
主人公は、淡々と生きているように見えます。
両親が不在で、入院中の祖母とは暮らせないという、客観的に見れば過酷な環境の中で、淡々と生きているようです。
「可哀そうな私」のように描かれていなく、好感を持てます。
児童養護施設での日常が描かれていると、ひょいと家族のことが差し込まれます。
誰かお母さんを助けてあげられへんかったん?
と、主人公は祖母に聞きます。
最初に逃げたんはあんたのお父さんやわなあ、ってばあちゃんが言うとった、俺には、それは救いやってん。もう他の、周りの人とか呪う必要ないやんと思った。元を辿れば、生まれたところからお父さんのせいやわな。
主人公の父は、逃げたらしいことがわかります。
父は、何から逃げたのでしょうか。
祖母は言います。
もうすぐ二歳いう頃でも、ママ、は全然言わへんでな。呼び方は、ママにもあるんよ。うちがあんたの何かは知ってる?名前もなくて、誰でもないって泣きながら、あんたの両肩押さえて言うとる時あったわな。そこらへんからもうママもあかんかったんやろなあ
ママ=主人公の母は、精神的な病気のようです。
主人公の父は、「あかんかった」ママの様子を見て、逃げ出したのでしょう。
最初に父が逃げ出し、次に母が逃げ出します。
残された主人公は、児童養護施設で暮らすことになりました。
施設には、一学年下に、主人公と仲の良い友達がいます。
ある日、近くのアパートに行くと、住人である大学生の男から声を掛けられます。
主人公と友達は、男子大学生のアパートに行くようになります。
この男子大学生が魅力的です。
主人公の友達が父親に引き取られて施設を出ることになり、主人公が、
これから親子コンサートも行けるんやわ
と言うと、大学生は、
お前も子どもと行けばいいじゃん
と返します。
この返し(主人公が子どもではなく大人として親子コンサートへ行く)が、いいなあと思いました。
淡々と生きているように見える子どもたちですが、見逃してはいけない声はあります。
父親に引き取られる主人公の友達は、父親との出来事を嬉しそうに語ります。
ですが一言、
父さんとおるん、しんどかった
とこぼします。
最初に抜粋した主人公の言葉(誰かお母さんを助けてあげられへんかったん?)も同様に、ぼそっと放たれます。
児童養護施設での生活は、いきいきと描かれていますが、見逃してはいけない言葉がまぎれています。