わかりやすいが問いを残す
吉野弘さんの詩は、簡潔で分かりやすいです。
例えば、「自分自身に」という詩。
他人を励ますことはできても
自分を励ますことは難しい
(中略)
自分がまだひらく花だと
思える間はそう思うがいい
すこしの気恥ずかしさに耐え
すこしの無理をしてでも
淡い賑やかさのなかに
自分を遊ばせておくがいい
自分がまだひらく花だと思ってるなら、そう思っていいと、吉野さんは他人である私を励ましてくれます。
書かれている言葉は理解できます。
書かれている言葉が理解できると、わかりにくい部分の言葉の解釈をしようと思わせてくれます。
例えば、
- 「淡い賑やかさのなか」とはどこか
- 「自分を遊ばせておく」とはどういう意味か
といった問いです。
自分で問いを立て、自分なりの答えを考えてみることができます(何を書いているのかわからない難解な詩だとそうはいきません)。
吉野さんの詩は、簡潔で分かりやすいだけでなく、読み手に解釈の余地を残してくれます。
私は、「淡い賑やかさのなか」を、ある程度人の活気のあるところ、「自分を遊ばせておく」を、自由気ままに過ごすことだと、考えました。
まだひらく花(変わる可能性がある)と思えるなら、ある程度人の活気があるところで、自由に過ごしてみたらどうだろう、と励ましてくれている詩だと解釈しました。
「犬とサラリーマン」という詩について。
サラリーマンは、黒い犬に、魚の骨やビスケットをあげますが、犬は食いません。
諦めて、黙って犬と一緒にいることにしました。
しばらくして 犬は 飼犬の経験を話そうかと言ったが そうすれば 僕は サラリーマンの経験を話さねばならないだろうし 身の上を慰め合うのはつらいからよそう と僕は答えた。
そんな淋しい夢を抱えて 僕は翌朝 いつもの道を出勤した。
サラリーマンは会社に、黒い犬は飼い主に、飼われています。
お互い飼われている経験を話すのは、身の上を慰め合うことにつながると、サラリーマンは考えます。
問いは、
- 黒い犬は、どうして何も食わなかったのか
- 黒い犬は、なぜ飼犬の経験を話そうかと言ったのか
犬が何も食わなかったのは、犬(動物)ではないからだと思います。
言葉を話すのも、犬(動物)ではないからでしょう。
では、人間かというとそれも違う気がします。犬が黒いことから、主人公の影のような存在だと考えました。
犬が「飼犬の経験を話そうか」と言ったのは、サラリーマンが隣でじっと座ったことで、少し気を許したからだと思います。
気を許したからこそ、お返しとして、自分の経験を語ろうと言ったのでしょう。
犬には、自分の経験を語るくらいしかできません。
犬に経験を語らせたら、サラリーマンも自分の経験を語るくらいしかお返しできません。
お互い飼われている経験を語るのは、傷の舐め合いにしからならないと、サラリーマンは判断したのでしょう。
「そんな淋しい夢」とあるので、犬との出来事はサラリーマンの夢でした。
いつもの道を出勤する、はかなげなサラリーマン。私も同じかもしれません。