良い詩を書きたい人へ
やなせさんは、アンパンマンの作者です。詩を書き、詩集の編集もしていました。
本書の冒頭、やなせさんは読者に質問をします。
- 詩人になりたいですか?
- 詩をかいてお金もちになりたいですか? それとも世間に名前を知られたいのですか?
- 良い詩をかきたいのですか?
- 1が「はい」:次の章までは読むように
- 2が「はい」:本書は適当ではない
- 3が「はい」:全部読むように
- 全部「いいえ」:ひろい読みするように
私は、3だけ「はい」(良い詩をかきたい)だったので、全部読みました(なぜ良い詩を書きたいかの理由は置いといて)。
良い詩とは何でしょうか。
あなたがいい詩とおもうものがいい詩です
と、やなせさんは言います。
背筋のある部分がふるえだすような感覚におそわれるもの、またぜひこの詩はノートにかきうつしておきたいというふうにおもうもの、またあんまりくりかえして読むためにすっかりその詩をおぼえてしまうようなもの、それがいい詩です。
逆に、説明や注釈付きではじめて納得できるような詩は、あまりいい詩ではないそうです。
難解ということはそれ自身罪悪です。
誰にでもたやすく解り、
誰にでも楽しむことができなくてはね。
やなせさんは、わかりやすさを重視しています。
なんと現代詩はむつかしくて
頭の痛むことでしょう
私も同意です。現代詩は難しいものが多いです。
- 現代詩はむつかしい→難解ということは罪悪
やなせさんにとって、難しい現代詩は罪悪ということでしょう。
難しい現代詩が評価されてしまうと、世に出る詩は難解なものばかりになってしまいます。私のような一般読者はついていけません。
ぼくらは詩人じゃないけれど
せめて心の奥底の
孤独あるいは激情を
なにかのかたちで話したい
やなせさんは、そのために本書を書きました。
では、良い詩をどのようにして書けばいいのでしょうか。
詩にしても、絵にしても、まず内なる人間の完成が問題であって、作品はごく自然にあふれでるものです。
「内なる人間の完成」って、何でしょうか。現代詩よりも難しそうです。
「内なる人間の完成」の直接的な言及はありませんが、ヒントとなりそうな部分を抜粋します。
彼女の美しさは、その深い心からきている。人を疑うことを知らず、人を憎むことを知らず、人を嫉妬する心なく、人の悲しみを聞くやたちもまちその眸(ひとみ)から涙があふれ落ちる。
私は、人を疑うことも憎むことも知っています。人に嫉妬することもあります。人の悲しみで涙することはほとんどありません。「内なる人間の完成」にはほど遠いです。そんな人間は、良い詩を書けないのでしょうか。
書けないわけではないと私は考えます。
確かに、内なる人間が完成した人が書く詩は、良い詩なのでしょう。
ですが、良い詩はそれだけはないはずです(そう信じたい)。ヒントは以下のとおりです。
うまい詩をつくるなどということは、最初からまちがっているので、この人生をどういうふうにけんめいに生きるのか、そのこと自身にかかってくるのですよ。
けんめいに生きるという点でいえば、私も及第点を取れると思います。けんめいに生きてない人なんて、いないでしょう。
芸術家というのはやはりサービス業だとおもうなあ。
他人をよろこばせて、他人がよろこぶのを見て自分がよろこぶ。そのことに生命がけになるってことじゃないですか。
人生を懸命に生きて、その過程で見つけたものを、他人を喜ばせるように、命がけで書く。
それが結果的に、良い詩として誰かの胸を打つのだと思いました。
最後に、本書に載っていた詩(「晩飯」八木重吉)を引用します。
からだも悪いし
どうやっても正しい人間になれない
御飯をたべながら
このことをおもってうつむいてしまった