いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『私の推敲』町屋良平(著)の感想【私という小説家の極意】

私という小説家の極意

小説家の主人公には、お守りのように読み返している創作の指南書があります。

指南書の名前は、『私という小説家の極意』で、著者の名前は書かれていません。

指南書の著者が、編集者のタカハシクンに向けて話した内容を、タカハシクンが文字起こししたもので構成されています。

その指南書が面白いです。例えば、推敲は不要かについて。

直しに直され熟慮された文章より絶対に初めに書いた文章のほうが、意味や熱量において伝わりやすい

確かに最初に思って書いたことですから、熱量は一番強いでしょう。

それがニュアンスだとか、人によっては神秘主義的に重宝されもする「行間」、さらにそこから進めて活字と「なってしまった」文章とのあいだにある思考こそが文体なのであって、だから小説を書く人は一般に考えられているのと逆に推敲について「なぜ伝わりにくくするか?」ということを考えなければいけない

ここが難しいです。指南書では、小説の文体を重視しているのはわかります。

文体は、ニュアンスや行間と、文章のあいだにある思考のことなのでしょうか。

もう少し整理します。

  • ニュアンスや行間:文章になっていない
  • 活字となってしまった文章:文章になっている
  • ニュアンスや行間と、文章とのあいだにある思考:文章になっているのか?

やはりわかりません。文体というだけあって、思考も文章になっていると考えられますが、一方で、文章化されていないとしても、文章化されないのが作家の文体とも言えそうです。

思考が文章化されるかされないかの揺らぎの中に文体があるとしたら、推敲によって明文化するか削除するかによって、小説家の文体がなくなってしまい、文章が伝わりにくくなってしまう。だから推敲すべきか考えないといけないと、指南書で言っているのだと私は受け取りました。

難しさもありながら、創作的面白さもあります。

編集の「タカハシクン」。まったく実在しない人物であることがその後のインタビューにおいて明かされている

指南書の編集者は実在せず、著者自らが編集者の口も借りて、小説について語っていたのですね。

ちなみに私は、『私という小説家の極意』を読みたくて検索してみましたが、実在しない指南書でした。

こちらも著者(町屋さん)が指南書の著者(名前は不明)の口を借りて、推敲について語った作品ということです。

文藝 2022年秋季号

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