無意味な苦労であってはいけない
著者の富田さんは、代々木ゼミナールの英語講師です。
もし、大学受験の予備校の先生に「キミは何のために勉強するのか」と聞かれたら、「志望校に合格するため」と答えるでしょう。
ただ本書は、一般の読者にも向けて書かれています。
私のような社会人は、何のために勉強するのでしょうか。
勉強というのは苦労多きものだ。今できないことを「できる」ようになるには、今のままではいけないことだけは明らかだからだ。
富田さんは、勉強に伴う苦労が「無意味な苦労」ではあってはいけないと言います。
かけた労力がいずれは報われるようなものでないなら、そんな苦労はするだけ無駄である。
労力が報われたか報われなかったかの判断は、何でしょうか。
労力にふさわしい成功は、試験の成功云々ではなく、物事を冷静に見て何かを発見しうる能力を身につけることそれ自体なのだ。
私は、勉強する理由を、試験に合格するためだと思っていました。
試験に落ちたとしても、「何かを発見しうる能力」を身につけたなら、労力にふさわしい成功といえるのでしょう。
また、富田さんは、中学校以上の教育の目的について、
「ある閉じたルール体系を与えられた時、それに従って思考し、対処し、その体系の中で正しい結果を導く能力を養う」ことに尽きる。(中略)これが学力の正体である「抽象化」だ。
抽象化については、前作『試験勉強という名の知的冒険』にも書かれています。前作の感想はこちらです。
抽象化できないと、試験で同じような問題が出なければ、解くことはできません。
抽象化できれば、同じ問題でなくとも、臨機応変に対処できそうです。
大人になってそれぞれの社会システム(会社であれ役所であれ他の職種であれ)の中に入った時、そのシステムの本質を素早く見抜いてそこからルールを抽出し、それを上手に使って生きていくのに、直接的ではないにしても役に立つからである。
本書を読んで、私は数学の重要性を感じました。
数学は、公式などの「ルール体系」に従って思考し、正しい結果を導く能力を養うのに適しているからです。
逆に、正解が決まっていて単純に記憶するものは、抽象化に向いてないでしょう。
例えば、金融やプログラミングなどで、正解が決まっているものは、知識として役に立ちますが、抽象化の力は育まれないでしょう。
一方、高校数学の知識を実生活で活用できたことはありませんが、ルール体系を使って問題を解決したことは、仕事で何度もあります。
目の前の現象を見て、それに対して最も合理的な解を探し当ててきたのは人間である。(中略)「思いつく」ことができるのは、少なくとも現段階では我々人間だけである。
記憶は機械に任せましょう。
思いついて何かを発見できれば、問題が生じたときに応用が利くと感じました。