『初恋と美』とデビュー作
感想①はこちらです。
本作を、村上龍さんの私小説的小説として読みました。
主人公は、中学生のとき、作文で賞を受賞します。
タイトルは『初恋と美』です(ちなみに村上さんも、同じタイトルでPTA新聞の市長賞をもらっているようです)。
初恋について、修学旅行で風呂上がりの女の子の黒髪を見て胸を締めつけられるような感情を覚えたと書いた。(中略)美については、サッカーの県大会準決勝で負けたとき、チームメイトの涙と汗に濡れた顔が夕陽に照らされて、これまでこんなに美しいものは見たことがない。これこそが本当の美だと思ったと、そう書いた。
正直、かなり読みたいです。検索しましたが、見つかりませんでした。
主人公の書いた『初恋と美』について、主人公の母は、
本当のことを書いたものではなかったでしょう?
と言います。
実際には、母の声は発せられていなく、主人公の記憶から喚起されたものです。
初恋というタイトルで、興味と、微妙な反感を抱かせ、それを、女の子の濡れた黒髪という古風な対象を用いて描写することで、中和して安心させる、それで大人たちを騙せるかもしれない
こんなことを考えて作文を書く中学3年生、恐ろしいです。
自分の書きたいことを書くのではなく、大人を騙すように書く。自分の好きなように書いている私には耳が痛い言葉です。
母の声(主人公の記憶から喚起されたもの)は、主人公を問い詰めます。
内容は、嘘で被われていました。ただし、大人たちを騙すというあなたの意図は、正真正銘本物だった。そのために必要なのは、安堵しないという決意です。これでいいだろう、これで充分なはずだ、絶対にそう思わないことです。安堵を、強く拒めば拒むほど、表現は精緻になり、嘘の痕跡が希薄になり、やがて消える
安堵を満足感として捉えました。主人公は書いた文章を何度も見直したのでしょう。
嘘の内容で、大人を騙す。小説の書き方だと思いました。
騙すためには、文章は幼稚ではいけない。粗雑でもいけない。真実の吐露という形を示さなければいけない。
14歳で、書いた文章に安堵せず、真実の吐露をみがき上げ、作文を書いていたのです。レベルが違いすぎて、驚きを超えて落胆しました。
その後主人公は、小説を書いては消し、書いては消しを繰り返しますが、書き上げることはできません。
二十三歳になっていました、遅すぎる、そう思っていた。(中略)早く誰かを、何かを殺さなければ、ずっとそう思っていたころ、何も書かれていない原稿用紙の端に、インクの染みか、煙草の灰ほどの小さな虫がいるのを見つけた。(中略)この虫をどう描写すればいいだろう、どういう風に、この虫を小説に登場させたらいいだろう。
「誰かを、何かを殺さなければ」と思っていた主人公が、目の前の小さな虫を殺そうとして、しかし殺さず、描写しようと観察したことで、小説が始まったのですね。
そして書き始めたのが、デビュー作『限りなく透明に近いブルー』になったそうです。
一歩踏み外したら殺人者になっていたかもしれないあたり、作家と殺人者と紙一重なのかもしれません。
小説と作文は同じだと感じました。
- 文章を、真実の吐露のように書く
- 書いた文章に満足せず、みがき上げる
小説でデビューするには、安堵してはいけないと学びました。
感想③はこちらです。