ビートルズ「レボリューション9」
主人公は、5歳か6歳。来年小学校に入学します。
父親と二人暮らしで、父親は多摩川の河川敷で銃を探しています。
探している銃は父のものではありません。拾って報奨金をもらおうとしています。
父親は毎日河川敷に通っており、
- 雀荘のママ
- 失恋した男子大学生
と、たわいもない会話をします。
選評で町田康さんが、
なんの意味もない人間が、なんの意味もない場所に、なんの意味もなく集まって、なんの意味もない言葉を発する、という私たちが普段やっていることをそのまま描いておもしろい
と書いています。読み終わってから、何を読んでいたのだろうと思いました。
会話は面白く、河川敷の描写は丁寧です。視点となる主人公のセリフ作品を書かない選択や技術もすごいです。
ですが、作品を理解できた気がしません。
タイトル「点滅するものの革命」の
- 「点滅するもの」
- 「革命」
とは何でしょうか。
「もの」がひらがななので、
- 点滅する「者」の革命(主体)
- 点滅する「ものの」革命(逆説)
のどちらかです。
わたしはいま、点滅の真っ只中にいる。透明から不透明へ、不透明から透明へ、そしてまた透明から不透明へ。ちかちか音をたてながら足どりを速めていく点滅のスピードは、片方の極へとゆるやかに収束しようとしている。
「わたし」は主人公なので、ここで「点滅する」のは主人公です。
「革命」の主体が主人公だとしても、「革命」の内容はわかりません。
考えられるのは、主人公が言葉を発しないこと。主人公は誰とも話しません。わざと話さないのだとしたら、一種の革命です。
ただ、主人公がたまに話すことを、父親や雀荘のママが言っているので、話せないわけではないでしょう。
「革命」つながりだと、作中にビートルズの「レボリューション9」という曲が登場します。
主人公の父が河川敷で流します。父の意図的な選曲だと思われます。
私は初めて聞きました。前衛的な曲です。
「レボリューション9」を知れただけで、本作を読んで良かったと思いました。
電子音、シンバルの響き、ニュースキャスター風の男の退屈な話し声、それらが雑多に混ぜこまれ、変調され、パッチワークのように継ぎはぎされた不安げな音楽
と、「レボリューション9」は表現されます。
聴いてみると、同じような音や声「ナンバーナイン」の繰り返しがあります。
- 繰り返し=点滅
- レボリューション=革命
「点滅するものの革命」とは、「レボリューション9」を表していると思いました。
「レボリューション9」がどうなるかというと、
それらのふんだんな音の素材を高架橋の電車の轟音がおおいかぶさるようにかき消した
と、大きな音にかき消されてしまいました。
主人公や父親、雀荘のママ、失恋した大学生も同様に、大きな存在にはかなわず、河川敷の隅で、会話することしかできません。