終わらないためにどうするか
退職したら何をするか。
主人公は63歳で定年退職しました。会社勤めが「終わった人」です。
妻は美容院で働いています。
子どもは家を出て、家庭を持っています。
主人公には、やるべきことがありません。
やることがなくなってみると、パソコンでもできる囲碁や将棋とか、競馬や競輪とか、何でもいいからとにかく一人でできて、「時間のかかる趣味」を持っているべきだったと思う。
ドライブや旅も特に好きではない。孫は会えば可愛いが、別に遊びたいとは思わない。仕事が一番好きだった。
主人公は、自分が「終わった人」だと認識しながらも、仕事をしたがっています。
趣味では生きられない人間です。
俺が何よりも望んでいたのは、社会で必要とされ、仕事で戦うことだった。
主人公は
- 東大法学部卒業
- メガバンク勤務
- 子会社に出向、転籍
と、最終的に出世街道から外れましたが、業界では顔が利く人です。
まだまだ働ける力はあります。
しかし、働ける場所がありません。
終わりたくないのに終わった人が、終わらないためにどうすればいいのでしょうか。
- 再就職
- 学問研究
の2択だと思いました。
まず、再就職でしょう。
主人公は、再就職のため、ハローワークで見つけた求人に応募しますが、応募先の企業に面接で断られてしまいます。
東大法学部卒の人間がやるべき仕事ではないという理由で、企業からお祈りされます。
仕事以外には、勉強や研究に励むのも良いでしょう。
主人公は定年後、文学研究のため大学院入学を志しますが、就職先が決まったので、大学院には行きませんでした。
就職先はIT企業、スポーツジムで知り合った社長の会社です。
主人公の今までの経歴を買われ、顧問として就任しました。
週3日の勤務で年俸800万円は、主人公の経歴あってのものです。
俺には背骨として「仕事」が必要なのだ。それがあれば誇りとなる。
退職により、終わりたくないのに終わった人が、終わらないようにするには、仕事しかないと感じました。
私は定年まで約30年の現役世代ですが、自分の背骨が仕事だと思ったことはありません。
ただ、仕事を退職したら、「仕事は背骨だった」と思うかもしれません。
仕事はあって当たり前なので、なくなったら、主人公のような行き場のなさを感じる可能性はあります。
では、現役のうちに何をしておけばよいのでしょうか。
植木屋とか建具職人とか、特殊な技術を身につけている者は幸せだ。トコロテン式に定年退職させられることもなく、年齢と共に円熟の域に入ったりする。そして、技術と体力が確かなうちは続けられる。
仕事でいうと、年齢に定年退職させられない職業に就くことでしょう。
辞め時を自分で決められれば、「終わった人」ではなく、「終えた人」として仕事を辞めることができます。
人は死ぬまで、誇りを持って生きられる道を見つけるべき
と主人公は言います。
主人公にとって、「誇りを持って生きられる道」は仕事でした。
自分が誇りを持って生きられれば、仕事である必要はないでしょう。
主夫(婦)でも、無職でも、生活保護でも。
私の場合、例えばブログは誇りを持てるものなのか、考えました。
他人の作品について感想を書くことに、誇りを持てるのでしょうか。持って良いものなのでしょうか。
他人のふんどし、が頭をよぎります。
いくらつまらない作品だとしても、作品を創作した人に敬意があります。
作品がなければ感想は生まれません。感想は作品あってのものです。
「終わった人」にならないために、年齢制限のない「誇りを持って生きられる道」を見つけたいです。