いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『この世の喜びよ』井戸川射子(著)の感想【二人称で書く意味】(芥川賞受賞)

二人称で書く意味

主人公は、ショッピングセンター内の喪服売り場で働く女性です

「あなた」という二人称で書かれます

本作の一文目は、

あなたは積まれた山の中から、片手に握っているものとちょうど同じようなのを探した。

なぜ、二人称で書かれる必要があるのでしょうか

「あなた」を「わたし」に代えても、支障がないように思えます。

一般的に、二人称で書くことで、主人公の主観に距離を生む効果が期待できます。

しかし、主観に距離を生んでいるようには、感じませんでした。

「あなた」と言う語り手は誰なのでしょうか

若い頃の自分一人挟めばスムーズに話せるものだろうかとあなたは考えてみるが、きっと上手くいかないだろう。娘と自分との間には、何も挟みこむことはできないだろう。

「あなた」と言う語り手は、若い頃の主人公なのかもしれません。

若い主人公が、現在の主人公を客観視するために、「あなた」という語りにしていると考えられます。

しかし、二人称のたくらみは、上手くいっているとは思えませんでした。

若い頃の主人公と現在の主人公に、違いを見つけられなかったからです。

「あなた」でも「わたし」でも変わらないのです。

主人公が娘と話す際に、

  • 若い自分として話すとき
  • 今の自分として話すとき

の違いがわかりません。

もっと言えば、主人公が若い自分として話すときでも、二人称を使わず、「わたし」という一人称で良い気がします。

「あなた」という二人称の語りが、作品をわかりにくくしていると感じました。

また、タイトル「この世の喜び」とは何でしょうか

あなたに何かを伝えられる喜びよ、あなたの胸を体いっぱいの水が圧する。

  • 1つ目のあなた(主人公が何かを伝える相手):主人公ではありません
  • 2つ目のあなた(胸を体いっぱいの水が圧する):主人公です

何ともわかりにくい。

1つ目のあなたは、中学3年生の少女です。ショッピングセンター内のフードコートで仲良くなりました。

1つ目のあなた(中学3年生の少女)に、喜びがかかっています。「この世の」とまでは書かれていませんが、主人公の喜びです。

なぜ、中学3年生の少女に何かを伝えられるのが喜びなのでしょうか

主人公が、中学3年生の少女を、3人目の娘のように扱っているからです。

主人公は、社会人と大学生の娘と同居しています。夫は単身赴任をしています。

社会人と大学生の娘は、主人公から巣立っていくでしょう。

主人公は子離れできていません。家出した社会人の娘を追って、名古屋に行くほどです。

中学3年生の少女に、「娘も甘えすぎだよ」と言われた主人公は、

いいじゃない

と、大声で言い返します。

主人公が最も感情的になる箇所です。

主人公と少女が口を利かなくなる日が続き、やがて何かを伝えられるときがきます。

そして上記引用、「あなたに何かを伝えられる喜びよ」につながります。

この世の喜びは、大切な人に何かを伝えられることなのかもしれません。伝える内容は何だっていい。