二人称で書く意味
主人公は、ショッピングセンター内の喪服売り場で働く女性です。
「あなた」という二人称で書かれます。
本作の一文目は、
あなたは積まれた山の中から、片手に握っているものとちょうど同じようなのを探した。
なぜ、二人称で書かれる必要があるのでしょうか。
「あなた」を「わたし」に代えても、支障がないように思えます。
一般的に、二人称で書くことで、主人公の主観に距離を生む効果が期待できます。
しかし、主観に距離を生んでいるようには、感じませんでした。
「あなた」と言う語り手は誰なのでしょうか。
若い頃の自分一人挟めばスムーズに話せるものだろうかとあなたは考えてみるが、きっと上手くいかないだろう。娘と自分との間には、何も挟みこむことはできないだろう。
「あなた」と言う語り手は、若い頃の主人公なのかもしれません。
若い主人公が、現在の主人公を客観視するために、「あなた」という語りにしていると考えられます。
しかし、二人称のたくらみは、上手くいっているとは思えませんでした。
若い頃の主人公と現在の主人公に、違いを見つけられなかったからです。
「あなた」でも「わたし」でも変わらないのです。
主人公が娘と話す際に、
- 若い自分として話すとき
- 今の自分として話すとき
の違いがわかりません。
もっと言えば、主人公が若い自分として話すときでも、二人称を使わず、「わたし」という一人称で良い気がします。
「あなた」という二人称の語りが、作品をわかりにくくしていると感じました。
また、タイトル「この世の喜び」とは何でしょうか。
あなたに何かを伝えられる喜びよ、あなたの胸を体いっぱいの水が圧する。
- 1つ目のあなた(主人公が何かを伝える相手):主人公ではありません
- 2つ目のあなた(胸を体いっぱいの水が圧する):主人公です
何ともわかりにくい。
1つ目のあなたは、中学3年生の少女です。ショッピングセンター内のフードコートで仲良くなりました。
1つ目のあなた(中学3年生の少女)に、喜びがかかっています。「この世の」とまでは書かれていませんが、主人公の喜びです。
なぜ、中学3年生の少女に何かを伝えられるのが喜びなのでしょうか。
主人公が、中学3年生の少女を、3人目の娘のように扱っているからです。
主人公は、社会人と大学生の娘と同居しています。夫は単身赴任をしています。
社会人と大学生の娘は、主人公から巣立っていくでしょう。
主人公は子離れできていません。家出した社会人の娘を追って、名古屋に行くほどです。
中学3年生の少女に、「娘も甘えすぎだよ」と言われた主人公は、
いいじゃない
と、大声で言い返します。
主人公が最も感情的になる箇所です。
主人公と少女が口を利かなくなる日が続き、やがて何かを伝えられるときがきます。
そして上記引用、「あなたに何かを伝えられる喜びよ」につながります。
この世の喜びは、大切な人に何かを伝えられることなのかもしれません。伝える内容は何だっていい。