いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『音楽が鳴りやんだら』高橋弘希(著)の感想①【本気で音楽をやる代償】

本気で音楽をやる代償

主人公は、音楽の才能に恵まれます。

地元の友達と組んだバンドで、レコード会社からデビューの声がかかります。

デビューの条件は、ベースのメンバーを変えること

レコード会社の社員は言います。

本気で音楽をやりたいのなら、代償を払うべきだ。(中略)代償を恐れて自分で才能の芽を潰すことは、音楽への裏切りにもならないかね

「音楽」が、プラトン哲学でいう「イデア」のように語られています。

「音楽」は、頭の中にだけある最高の姿として存在します。

主人公は、

音楽の為に親友を切り捨てるのはいけないことだろうか

と思いつつも、メンバーを切り捨てた判断は間違っていないと考えています。

主人公のバンドは、メジャーデビューを果たしました。

デビューして多くのファンが付いた後、ドラムやギターも、メンバーが変わります

変更理由は、

  • ドラム:主人公との音楽性の違い
  • ギター:ライブでの事故がきっかけ

ドラムもギターも、主人公の地元の友人でした。

地元の友人が、レコード会社が用意したメンバーに変わります

主人公は、新しいメンバーの技術に満足します。

地元の連れより、才能のある人間からメンバーを選んだ方が、バンドのレベルは上がります。「音楽」に近づきます。

一方で、ファンはどう思っていたんだろうかと気になります。

地元の友人4人で始めたバンドは、主人公以外が別のメンバーに変わっています。

デビュー後に大勢のファンがついたバンドのメンバー変更は、ファンにどう捉えられていたのでしょうか。

コアなファンには重大かもしれませんが、ライトなファンには、バンドの顔である主人公が変わらなければ、影響がないのかもしれません。

例えば、ミスチルの桜井さんが変わったらミスチルじゃないけど、他のメンバーが変わる分にはミスチルのままで問題ない、ということかもしれません。ライトなファンにとっては。

主人公のバンドが売れる時代背景は、2010年~2020年代ですが、現代のバンドの名前が全く出てきません。60年代から90年代の音楽ばかりが登場して、違和感がありました。

タイトルにある本題。「音楽が鳴りやんだら」どうなるか

主人公は、無響室という音の鳴らない暗闇に入ります。

無響室から出てきた主人公は、三種の音楽(作品、人間、世界)を発見します

「作品」は人間が創作した世界中に流布しているありとあらゆる音楽、「人間」は俺が生きている限りは鳴り響く俺自身の音楽、そして「世界」は人間の外側の音楽

主人公は「作品」を重視します。

主人公は、海の満ち引きの音(世界)よりも、心臓の音(人間)よりも、ルイ・アームストロングの「作品」のほうがすごいと結論付けます。

「作品」がなくなったら、「世界」は滅亡し、「人間」は腐敗すると言います。

つまり、「音楽が鳴りやんだら」、世界は滅亡し、人間は腐敗する。主人公にとってはそうでしょう。

しかし、「作品」重視は、誰もが共通する認識ではないと思います。

では、「音楽」を心臓の音と捉えたらどうでしょうか。

音楽が鳴りやんだら、君は何を想う? 左胸の四分音符に永遠の全休符が刻まれたら、君は何を想う? もう何も想わなくていいんだ、それで作品も人間も世界もすべてが終わる

「音楽」=「左胸の四分音符」(心臓の音)が、鳴りやんだら、すべて終わるのは同意です。

自分がいない世界は続いても、知覚する自分が死んでいますから、想うこともできません。すべて終わっているのと同じです。 

感想②はこちらです。