自助グループの存在意義
「日曜日の人々」とは、自助グループの冊子です。
自助グループとは、悩みや問題を抱えた人たちが集まる場です。
冊子には、メンバーの個人的な体験が書かれています。
- 拒食症
- 窃盗癖
- 不眠症
など、自身の悩みや問題が書かれています。
メンバーが集まって語る場所は、マンションの一室。
会費は月2000円です。
運営費は、赤字続きでした。赤字は管理人が負担しています。
21歳の主人公は、従姉を自殺で亡くしました。
従姉は、自助グループに入っていました。
主人公は、従姉の書いた「日曜日の人々」を読むため、自助グループに入会します。
「日曜日の人々」を読むには、グループに入会し、6か月経つ必要がありました。
主人公は、自助グループの活動に参加します。
グループのメンバーには、自殺に至る方がいます。
あるメンバーは、ファミレス店員に、
そろそろ閉店なので出ていって貰えますか
と言われ、自殺します。
なぜ自殺するのか、主人公には理解できません。
メンバーの一人は、
背景が積み上がっていれば、塵一つが動機に成り得る
と、言います。
自殺は連鎖します。
メンバーが自殺し続ける自助グループは、存続すべきなのでしょうか。
前回、本書を読んだときの感想では、
病や悩みをグループのメンバーに話すことで一時的な安らぎを得るのではなく、専門職に治療してもらえることができれば、状況が変わる可能性はあります。
と、自助グループを否定的に書いています。
詳しくはこちらです。
確かに、医療機関を受診した方が賢明でしょう。専門的な治療を受けられます。
しかし、問題や悩みを抱えた人が、医療機関を受診できるかはわかりません。
再読して、自助グループにも存在意義があると感じました。
医療機関には行けないけど自助グループには行ける、という人はいるでしょう。
医師は言います。
他者に何かを伝えることが救いになるんじゃないかな。
他者が医者とは限りません。家族や友人に限りません。
同じような問題や悩みを抱えたグループのメンバーも、他者です。
自殺したメンバーは、早かれ遅かれ、自殺してしまったのだと思います。
メンバーの自殺が、残されたメンバーに影響を与えた可能性はあるでしょう。
しかし、最終的に自殺を選択するのは本人です。
他者の影響を受けた本人が、自殺を選択します。
「お前が死んだから私も死んだ」と、先に死んだメンバーを責めても仕方ありません。
それよりも、自助グループに所属し、他者に何かを伝えたことで、救いになったと思います。
確かに数人の死者を出しましたが、同時に多くの生者も生み出しました。
自助グループでは、日常生活を送れるようになった人や、結婚して子どもができた人もいます。
ただ、
- 生=正しい
- 死=間違い
ではないと、私は思います。
生きる選択も、死ぬ選択も、自分で選んだなら良いと思います。
自助グループは、自分の生き方の選択に、役立っています。