再読して面白い
読むのは、3回目か、4回目です。
3回以上読む小説は、ほとんどありません。
遠野さんの作品では、『破局』以外にも、『改良』を4回読んでいます。
どうしてそんなに読むのでしょうか。
たぶん、面白いからです。
たぶんとつけましたが、面白いからでしょう。
では、何が面白いのか?
文章として、面白いのです。
ストーリーには、面白味は感じません。
ですが、書かれている文章が面白いです。
例えば、主人公(私)と、恋人(灯)との場面です。
私がきれいだと言うと、灯はきょとんとして、何のことかと聞き返した。もちろん灯のことだと言うと、急にどうしたのかと笑う。急ではなく、言わなかっただけで、ずっと思っていたのだと、私は言った。(中略)これから先も、言わないだけで、いつでもそう思っているだろうと、私は私の所見を伝えた。しかし、先の話はするべきではなかった。なぜなら、明日のことなど、誰にもわからない。今の私が灯をきれいだと思い、大切に思っていたところで、明日の私もそう思っているとは、誰にも保証できないだろう。
『改良』の受賞対談で、磯﨑憲一郎さんが『改良』を「独自の語り口の萌芽が感じられる作品」と言っていました。
『破局』にも、独自の「語り口」を感じられます。
上記の引用では、セリフと地の文が混在しています。
セリフを「」で書き、地の文を分けて書くやり方もあるのに、遠野さんは、地の文で一気に書いています。
どうしてだろうと思いましたが、地の文で書くことで、独自の「語り口」が前面に出ている気がしました。
セリフを「」で書くと、セリフ部分は普通なので、地の文の「語り口」部分がこま切れになり、「語り口」の独自性が薄まる可能性があります。
セリフと地の文を混在させることで、一つの地の文として、「語り口」が協調されている印象を受けました。
また、主人公と、元彼女(麻衣子)との場面について。
ねえ、聞いてくれるかなと麻衣子が言った。私は窓の外を眺めるのをやめ、姿勢を正した。
(中略)「小学生の、まだ低学年だから(後略)
このまま元彼女は、13ページ、話し続けます。
その間、主人公の相槌や反応は、描かれません。
どういうこと?って思います。
- なぜ、こんなに話し続けるのか
- なぜ、このタイミングでこの話をするのか
1について。
主人公は相槌くらいはしているが、つまらない話だからと、反応を描いていない可能性を考えました。
2について。
主人公は、元彼女から聞いたことのある話なのではないかと考えました。
元彼女の話は衝撃的ですし、主人公が過去に聞いていても、おかしくありません。
それゆえの、主人公の無反応ということも考えられます。
今回『破局』を再読して、読み手次第で、いかようにも面白く読めることがわかりました。
芥川賞候補のときは、他の候補作と比較(特に高山羽根子さんの『首里と馬』)して、批判的に読んでいた気がします。
今なら遠野さんの次作『教育』も読めるかもしれません。