40年越しの仕事の背景
- 『街と、その不確かな壁』を前作
- 『街とその不確かな壁』を新作
とします。
今回は、新作の巻末「あとがき」についての感想です。
ネタバレは最小限です。
前作の感想はこちらです。
新作を読む前に、前作を読んだときの感想はこちらです。
前作は、1980年9月号の「文學界」に掲載されたきり、単行本や全集にも収録されていませんでした。
新作のあとがきに、経緯が書かれています。
雑誌には掲載したものの、内容的にどうしても納得がいかず(いろいろ前後の事情はあったのだが、生煮えのまま世に出してしまったと感じていた)、書籍化はしなかった。
村上さんは前作に納得がいっていないようですが、私は面白く読んだ作品です。
難しい作品ではあります。
村上さんは、前作に重要な要素があると感じていたようです。
この作品には、自分にとって何かしらとても重要な要素が含まれていると、僕は最初から感じ続けていた。ただそのときの僕には残念ながら、その何かを十全に書き切るだけの筆力がまだそなわっていなかったのだ。小説家としてデビューしたばかりで、今の自分に何が書けるか、何が書けないかをじゅうぶん把握できていなかったということになる。
村上さんは、初めての長編『羊をめぐる冒険』を書き終えた後、前作を『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』という長編として、書き上げました。
ストーリーだけで長編小説に持って行くにはいささか無理があったので、もうひとつまったく色合いの違うストーリーを加えて、「二本立て」の物語にしようと思いついた。
しかし、村上さんは納得がいかなかったようです。
作家としての経験を積み、齢を重ねるにつれ、それだけで「街と、その不確かな壁」という未完成な作品に――あるいは作品の未熟性に――しかるべき決着がつけられたとは思えなくなってきた。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』はそのひとつの対応ではあったが、それとは異なる形の対応があってもいいのではないか、と考えるようになった。
それが新作の執筆につながります。
新作は、ストーリーだけで長編小説に持っていきます。色合いの違うストーリーを加えた二本立ての物語にしていません。
一昨年(二〇二〇年)の初めになって(中略)ようやく、この「街と、その不確かな壁」をもう一度、根っこから書き直せるかもしれないと感じるようになった。最初に発表したときから数えて、ちょうど四十年が経過していた。
40年越しの仕事。
壁に囲まれた街と、外部の世界という構造は、40年前と同じです。
40年という月日に耐えられるテーマを、前作で取り入れてるのがすごいです。
40年前に納得がいかなかった仕事を、70歳で再び取り組むことも、ちょっと考えられません。
第一部を完成させ、それでいちおう目指していた仕事は完了したと思っていたのだが、念のために書き終えてから半年あまり、原稿をそのまま寝かせているうちに、「やはりこれだけでは足りない。この物語は更に続くべきだ」と感じて、続きの第二部、第三部にとりかかった。
第一部だけだったら、物足りなかったかもしれません。
第一部で前作を補完していたり、最終的な決断が変わっていたりはします。
ただ、第一部だけだったら、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で役割を果たしていると感じました。
第二部以降があることで、村上さんの言う「作家としての経験」や「齢を重ねたこと」が活きたように感じました。
新作が、雑誌掲載や締切のある仕事だったら、第一部だけで出版されていたかもしれません。
村上さんが、締切のある仕事をしなかったからこそ、第二部以降につながりました。
原稿を半年寝かせることができたのは、前作を書いた新人作家時代には、できなかったことでしょう。
作家の金銭的余裕が、良質な作品には必要な要素だと感じました。
原稿を半年寝かせたから、第二部以降につながりました。
第二部以降は、第一部での決断に反して、予想外の展開になります。
感想②はこちらです。