子易さんという魅力的な人物
感想①はこちらです。
感想②はこちらです。
本作で魅力的な人物といえば、
子易(こやす)さんを挙げる人が多いと思います。
私も同感です。
子易さんは、主人公が館長として就任した図書館の、元館長です。
主人公を支えてくれる、風変りな男性です。
子易さんの風貌は、ベレー帽に、スカート姿です。
子易さんは、子どもを事故で亡くし、妻を自殺で亡くしました。
酒造会社の息子でしたが、父親の死をきっかけに、酒造会社を売却しました。
残った古い醸造所を、図書館として活用するため、町に寄付しました。
古い醸造所を改修する際、子易さんの私財を投じて、図書館を作り替えました。
その後、元図書館長として、新たに図書館長になった主人公を導きます。
子易さんの語りかけは、心温まります。
ただ、私が良かったのは、子易さんが結婚し、子どもを持つことになったときの、子易さんの心境の変化です。
それまでの子易さんは、
自分という存在の意味がうまく把握できなくなっていた
ですが、結婚し、子どもを持つことになったら、
自分は親からひとまとまりの情報を受け継ぎ、そこに自分なりに若干の変更加筆を施したものを、また自分の子供に伝達していく――結局のところ単なる一介の通過点に過ぎないのだ。(中略)でもそれでいいではないか。
と、通過点に過ぎない人生でもいいと、言い切ります。
たとえ自分がこの人生で意味あること、語るに足ることをなし得なかったとしても、それがどうしたというのだ? 自分はこうして何かしらの可能性――それがただの可能性に過ぎないとしても――を子供に申し送ることができるのだ。それだけでも自分が今まで生きたことの意味があるのではないか。
子どもは可能性です。
意味あることや、語るに足ることを、なし得なかった人生。
これは私にも通じます。
私の人生に、意味や語るに足ることなど、ないでしょう。
しかし、それがなくてどうしたのだと、子易さんは言い切ります。
何かしらの可能性(子易さんの場合は子ども)があれば、それが可能性に過ぎないにしても、今まで生きたことの意味はあるといえます。
さらにいえば、
- 意味がある=いい人生
- 意味がない=悪い人生
ではないのもしれないと、思いました。
意味の有無と人生の良し悪しは、切り離してもいいと、思わせてもらいました。
子易さんは、子どもを亡くし、妻を亡くしました。
可能性に過ぎないものだとしても、それが消えました。
可能性が消えたときの子易さんの感情は、はかり知れません。
ベレー帽をかぶり、スカートを履き、気さくになって、道化を演じることに徹したのかもしれません。
それでも子易さんは、主人公を導く大切な存在には、違いありません。