同意の上での安楽死は否定できない
相模原障害者殺傷事件とは、
2016年7月、神奈川県相模原市の障害者施設で起きた、殺傷事件です。
45人を殺傷、うち19人が死亡しました。
被告は事件のあった障害者施設の、元職員でした。
被告は死刑になりました。
検察は被告に問います。
障害者が裸で走り出し、食事を流し込まれ、職員は人として扱っていない。そういった経験を経て重度障害者はいらないと思ったのか
被告は「はい」と答えました。
事件前、被告は友人たちに、
税金を障害者に使うのは無駄。他に使ったほうがいい。重度障害者は殺したほうがよい
と言ったそうです。
思考は自由です。実行してしまえば、殺人は犯罪です。
しかし、被告が事件前に衆議院議長にあてた手紙で、私は否定できない部分を見つけました。
私の目標は重度障害者の方が家庭内での生活、および社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。
被告の目標を、私は否定できませんでした。
むしろ、良いと思いました。
同意の上の安楽死なら、良いのではないか。権利は、あっても良いのではないか。
そう思いました。
被告の行動を3つに分けた場合、
- 目標を持つ(重度障害者の方が家庭内での生活、および社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界)
- 衆議院議長に手紙を出す
- 施設で、意思疎通を図れない人間を殺す
被告は、目標を達成するための手段を、はき違えました。
被告に障害者を殺す権利はありません。
目標を達成するためには、どうしたら良かったのしょうか。
- 法律を改正できる側の人になる
- 法律を改正できる人に依頼する
のどちらかでしょう。
人に依頼するは、衆議院議長への手紙になりますが、相手にしてもらえませんでした。
すると、被告自身が、法律を改正できる人間になるしかなかったわけです。
それなのに、障害者を殺してしまいました。
保護者の同意もなければ、安楽死でもありません。
例えば、意志疎通の図れない入居者の保護者に連絡を取り、保護者の同意を得てから、入居者を安楽死させていたら、どうなっていたのでしょう。
入居者の保護者が辛そうで、被告が保護者に寄り添って、安楽死を提案していたとしたら――。
一方的な殺害をした被告は、本当に、重度障害者の安楽死できる世界を望んでいたのか、怪しくなります。
裁判での、「コンプレックスが事件を引き起こしたのでは」という問いに、
ああ、確かに。こんなことしないでいい社会……。歌手とか野球選手になれるならなっています。自分ができる中で一番有意義と思ったんです
有意義な人生を送りたいという気持ちはわかります。
被告にとって一番有意義なことが、障害者を殺害することでした。
社会人になって、お金が欲しいと強く思うようになった。お金を得るために、人の役に立つことは何かを考えた。障害者を殺害することが「役立つこと」だと思った。
- お金が欲しい
- お金を得るために、人の役に立つ
- 人の役に立つために、障害者を殺害する
2から3への論理が破綻しています。
被告は記者に、武者小路実篤『友情』を渡したそうです。
いい本なんで、是非読んで下さい
と言って。