いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『私は無人島』旗原理沙子(著)の感想【受精卵が堕胎に向かう旅】(文學界新人賞受賞)

受精卵が堕胎に向かう旅

私は無人島。強烈なタイトルです。

私は人間なのに、無人島とはどういう意味か。

考えながら読みました。

主人公は、都内のタワーマンションに住んでる女性です。

占い師をしています。

夫はおりますが、子どもはいません。

主人公に、中学時代の友人から連絡が来ます。

友人は、配偶者の弟に強姦されたと言います。

その結果、子どもができました。

友人は産みたくなのですが、友人家族との話し合いの末、産むことになりそうとのことです。

友人は言います。

うちの身体だけど、もう、人んちのものっていうか。うちの身体ごと、もう、うちのものじゃない

主人公は、

誰のものとか、そういうことじゃないでしょ

と返します。

友人は、家族との話し合いで、子どもを堕ろす条件として、「伝説の堕胎師えじう」にやってもらえるならいいと言われます。

なぜ、「伝説の堕胎師えじう」なら堕ろしてもいいのかは、わかりません。

主人公は、友人の依頼で、「伝説の堕胎師えじう」を探すことになります。

手がかりは、友人の配偶者親族の知り合いであることだけです。

ネットで検索しても出てきません。

トランプ占いを頼りに、主人公は「伝説の堕胎師えじう」を探します。

的を絞った後、電話やメールで連絡せずに、飛行機で直接現地に行くのは、現実的ではないと感じました。

人探しに苦労するかと思いきや、とんとん拍子に物事は進みます。

島で道行く人に尋ねると、何かしらの答えが返ってきます。

答えに忠実に行動すれば、次の道が見えてきます。

選評で阿部和重さんは、

安易なご都合主義を脱しえていないとわたしは判断した

と書いてます。

島で偶然、友人を強姦した相手(友人の配偶者の弟)に会うのは、やりすぎな気はしました。

一方、選評で中村文則さんは、

受精卵(のよう)でなければ行けないということで、そこに現れるのは必然的に強姦者(蛇人)になる主人公と蛇人はいわば仮の受精卵と化し、受精卵が堕胎に向かう旅をする話とするなら、これほど奇抜な設定は読んだことがない

確かに、「受精卵が堕胎に向かう旅をする話」は読んだことないです。

そうした読み方のできる中村さんに驚きました。

主人公が友人の強姦相手に会うのが必然だったとして、

友人は、強姦相手と、(間接的にでも)情報交換してた可能性があります。

最初に友人から主人公に電話がくる直前、警察から連絡がありました。

警察は、友人の強姦者の連絡先だと思って、主人公にかけてきました。

友人の強姦者は、主人公の連絡先を、警察に告げていたわけです。

なぜかはわかりません。

主人公が強姦相手に聞いても、はぐらかされ、謎のままです。

  • 強姦者は主人公の連絡先を知っていた
  • 主人公は初対面だと思ってたが、強姦者はそうではなかった

強姦者は何かしらの感情を、主人公に抱いてたのかもしれません。

タイトルについて。

「無人島」に対になるのは、友人です。

うちの身体だけど、もう、人んちのものっていうかうちの身体ごと、もう、うちのものじゃない

それと、主人公が訪れた島の伝承です。

身体には所有権のようなものがあり、親族たちがそれを握っていたということだ

友人や島の伝承に対して、主人公は「無人島」です。

主人公は、帰りの飛行機の中から、無人島を目にします。

見知らぬ島だった人は一人も住んでいないかもしれないあの島だけは所有権を持っている人などいないだろう、ほんものの無人島だ、私は無人島だと思った誰のものでもない

  • 私が見た島=無人島
  • 私=無人島

両方の意味で読み取れます。

堕胎が良いとか悪いとかの主張がないのが良かったです。

堕胎については、作中に引用されている言葉、

中絶しようが、しまいが、どちらでもいい、知ったこっちゃない、あなたの選択だ、それが選択というものだ

に、確かにそうだと納得しました。