受精卵が堕胎に向かう旅
私は無人島。強烈なタイトルです。
私は人間なのに、無人島とはどういう意味か。
考えながら読みました。
主人公は、都内のタワーマンションに住んでる女性です。
占い師をしています。
夫はおりますが、子どもはいません。
主人公に、中学時代の友人から連絡が来ます。
友人は、配偶者の弟に強姦されたと言います。
その結果、子どもができました。
友人は産みたくなのですが、友人家族との話し合いの末、産むことになりそうとのことです。
友人は言います。
うちの身体だけど、もう、人んちのものっていうか。うちの身体ごと、もう、うちのものじゃない
主人公は、
誰のものとか、そういうことじゃないでしょ
と返します。
友人は、家族との話し合いで、子どもを堕ろす条件として、「伝説の堕胎師えじう」にやってもらえるならいいと言われます。
なぜ、「伝説の堕胎師えじう」なら堕ろしてもいいのかは、わかりません。
主人公は、友人の依頼で、「伝説の堕胎師えじう」を探すことになります。
手がかりは、友人の配偶者親族の知り合いであることだけです。
ネットで検索しても出てきません。
トランプ占いを頼りに、主人公は「伝説の堕胎師えじう」を探します。
的を絞った後、電話やメールで連絡せずに、飛行機で直接現地に行くのは、現実的ではないと感じました。
人探しに苦労するかと思いきや、とんとん拍子に物事は進みます。
島で道行く人に尋ねると、何かしらの答えが返ってきます。
答えに忠実に行動すれば、次の道が見えてきます。
選評で阿部和重さんは、
安易なご都合主義を脱しえていないとわたしは判断した
と書いてます。
島で偶然、友人を強姦した相手(友人の配偶者の弟)に会うのは、やりすぎな気はしました。
一方、選評で中村文則さんは、
受精卵(のよう)でなければ行けないということで、そこに現れるのは必然的に強姦者(蛇人)になる。主人公と蛇人はいわば仮の受精卵と化し、受精卵が堕胎に向かう旅をする話とするなら、これほど奇抜な設定は読んだことがない。
確かに、「受精卵が堕胎に向かう旅をする話」は読んだことないです。
そうした読み方のできる中村さんに驚きました。
主人公が友人の強姦相手に会うのが必然だったとして、
友人は、強姦相手と、(間接的にでも)情報交換してた可能性があります。
最初に友人から主人公に電話がくる直前、警察から連絡がありました。
警察は、友人の強姦者の連絡先だと思って、主人公にかけてきました。
友人の強姦者は、主人公の連絡先を、警察に告げていたわけです。
なぜかはわかりません。
主人公が強姦相手に聞いても、はぐらかされ、謎のままです。
- 強姦者は主人公の連絡先を知っていた
- 主人公は初対面だと思ってたが、強姦者はそうではなかった
強姦者は何かしらの感情を、主人公に抱いてたのかもしれません。
タイトルについて。
「無人島」に対になるのは、友人です。
うちの身体だけど、もう、人んちのものっていうか。うちの身体ごと、もう、うちのものじゃない
それと、主人公が訪れた島の伝承です。
身体には所有権のようなものがあり、親族たちがそれを握っていたということだ
友人や島の伝承に対して、主人公は「無人島」です。
主人公は、帰りの飛行機の中から、無人島を目にします。
見知らぬ島だった。人は一人も住んでいないかもしれない。あの島だけは所有権を持っている人などいないだろう、ほんものの無人島だ、私は無人島だと思った。誰のものでもない。
- 私が見た島=無人島
- 私=無人島
両方の意味で読み取れます。
堕胎が良いとか悪いとかの主張がないのが良かったです。
堕胎については、作中に引用されている言葉、
中絶しようが、しまいが、どちらでもいい、知ったこっちゃない、あなたの選択だ、それが選択というものだ
に、確かにそうだと納得しました。