アライ女性に邪魔される
選評を読んで、「アライ」という言葉を知りました。
アライとは、
LGBT(中略)の当事者ではない人が、LGBTに代表される性的マイノリティを理解し支援するという考え方
(「人事労務用語辞典」から抜粋)
主人公は、社会人二年目のゲイです。
職場ではカミングアウトしてません。
主人公には、大学生のパートナーがいます。
パートナーの大学の同級生に、アライの女性がいます。
この女性が異常です。
例えば、異常な発言について。
「同性愛とかのセクシャル・マイノリティのひとたちの愛って本当に素敵なんだなって思っていて」
「ゲイのひとってメロンソーダが好きなひとが多いって聴いたことがあるんですけど、本当なんですね」
他にも、異常な行動について。
- 借りたものを直接返したいという理由で、主人公のパートナーのバイト先に押しかけ、勤務シフトを聞き出す
- 主人公の会社に、①採用試験を受けさせてほしいとメールを出し、②会社に押しかけ、③ゲイカップル(主人公とパートナー)をインタビューした自分の記事を、会社の人間に渡す
本人にとっては、良かれと思ってやってるのかもしれませんが、当事者である主人公たちには迷惑です。
パートナーは、女性について、
誰に対しても真摯に向き合うことしか知らないからこんなことになったんだと思うんだよね
と言います。優しい言い方です。
主人公は、
属しているカテゴリーに向けられた憎悪や軽蔑に対し、自分から発される憎悪や軽蔑の感情が気持ちいいだけだもんね
と、女性を解釈します。
「正義感で行動してる私、えらい」的な感じでしょうか。
ある対象への憎悪や軽蔑に対して発せられる、自らの憎悪や軽蔑が、気持ちいいという感覚が新鮮でした。
相手目線ではなく、自分目線の支援では、相手に避けられて仕方ありません。
主人公とパートナーは、アライの女性を無視せず、対処しようとします。
私なら、初対面で相手に違和感を抱いたら、その後の交流は避けると思います。
大学の同級生なら、交流を避けても生活に支障をきたすことはないと考えます。
職場の上司や同僚なら、無視し続けるのは厳しいですが。
選評で中村文則さんは、
誰が読んでも明らかにイタイ女性なってしまっている。これではただ迷惑な人に邪魔された話になってしまうので、れいちゃんをもっと普通にして、その上で、当事者が感じる(性的マジョリティが見落としているような)ものでれいちゃんを刺して欲しかった。
れいちゃんとは女性の名前です。
さらに中村さんは、
小説の構造も活きているとは言い難くて、これなられいちゃんの関わるシーンだけに番号をつけ、守りたい日曜日から切り取り可能にした方が、タイトルの意図もはっきりし、パルプという投げやりな表現も活きるのではないか。
パルプが投げやりな表現かは別として、確かにそうだなと、私は納得しました。
小説の構造は、時系列順ではありません。
19枚のパルプ(ばらばらにしたもの)が、作者の意図によって並び替えられてます。
主人公とパートナーで過ごしたい日曜日に、アライの女性(れいちゃん)との約束があることで、水を差されます。
中村さんの指摘するように、
- 守りたい日曜日(アライの女性がいない場面)
- 邪魔される日(アライの女性のいる場面)
に分けると、タイトルが活きると感じました。
一方、選評で阿部和重さんは、本作の構造を評価しています。
少数派と多数派、あるいは当事者と非当事者のあいだの分断状況(すれちがい)を可視化する試みと解釈できる。かような形式的工夫が作中の主張と密接にむすびつき、描写や語彙の具体性と相まって作品の目的と性格をクリアに浮かびあがらせている。
当事者(主人公とパートナー)、非当事者(アライの女性)の分断状況を可視化する試みなら、中村さんの言うように、アライの女性がいる場面といない場面で、分けた方が良いと感じました。
- 作中の主張
- 作品の目的と性格
が何かについて、私には難しいです。
選評を読むと、阿部さんが強く推して、中村さんが反対して、他三人の選考委員は中立に見えました。
誰か一人でも強く推せば受賞できるシステムは、良いと感じました。