いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『バリ山行』松永K三蔵(著)の感想【本当の危機】(芥川賞候補)

本当の危機

バリ山行(さんこう)と読みます。

読む前は、バリ山に行く話だと思ってました。

全然違いました。

主人公は、建物の外装を修繕する会社に転職して2年。

前の会社から紹介してもらって、今の会社に勤めました。

前の会社には、首を切られた形です。

主人公は、今の会社に転職して、人付き合いをするようになりました。

山登りもその一環でした。

同僚に誘われ、社内行事の登山に参加します。

主人公には、会社員の妻と、3歳の娘がいます。

妻は、休日の登山も仕事のうちと、理解してくれてます。

社内行事だと、登山道を歩いても、仕事の話が行き交います。

山を歩いても結局、仕事のことばかり考えている

主人公が何度か登山に参加すると、バリに出会います。

バリとは、バリエーションの略です。

通常の登山道ではない道を行く破線ルートと呼ばれる熟練者向きの難易度の高いルートや廃道そういう道やそこを行くことを指すという

登山道ではない道を行くので、危険を伴います。

社内行事では、危険なバリはできません。

同僚に、バリをやってる妻鹿(めが)さんがいました。

妻鹿さんは40代で、父と弟を扶養に入れて暮らしてるという噂を耳にします。

妻鹿さんは同僚と仲良くどころか、ときに激昂することで、周りから避けられてました。

主人公は、仕事で行き詰ったとき、妻鹿さんに助けてもらいました。

助けてもらった仕事の帰り、バリに連れていってほしいと伝えます。

主人公は、妻鹿さんとバリ登山をします。

ふと私は、自分が仕事のことをすっかり忘れていることに気がついた

通常の登山道を行かないバリだから、仕事のことを忘れてると気づいたのでしょう。

ただバリ登山が素晴らしいという話にならないのが、本作の良い点です。

バリ登山について、読み手の私に思考させます。

有名な難ルートを踏破するのではなく、こんな低山をデタラメに、いくら彷徨ってみたところで、誰にも知られず、その困難さも過酷さも理解されることはない

理解されるどころか、危険やマナー違反として、批判されることもあります。

完全な自己満足だと、主人公は考えます。

妻鹿さんは、生きるか死ぬかの感覚を味わえるバリは本物だと言います。

一方、主人公は、本物の危機は街にあると考えます。

バリで死にかけた主人公は、妻鹿さんに言います。

ただ逃げてるだけじゃないんですか向き合うのは山じゃなくて、生活ですよ! 本物の危機は街にありますよ、会社にありますよ!

読んでる私は、主人公の意見に傾きます。

バリ登山で自ら危機を作り出しても、対処できればいいです。

ですが死にかけたらどうするのだろうと、思ってしまいます。

本当の危機はどこにあるのか。

生活にあると、私は思いました。

生活が確立してなければ、山に行くことはできません。

妻鹿さんは、生活が危ぶまれる状況であっても、バリ登山をしている様子です。

バリをやってる理由を主人公が聞くと、

おもしろいからだよ

と、妻鹿さんは答えます。

生活が危ない状況であっても、おもしろいからと言って続けられるもの。

そんなものがある妻鹿さんをうらやましく感じました。

不意に、

山は街と地続きなのだから

という一文が、私には違和感のある形で、差し込まれます。

本当の危機は、山か街どちらかではなく、続いてることを作者が示したかったのかもしれません。

バリ登山でけがをして体調を崩した主人公は、家庭や職場に迷惑をかけます。

もう二度としないと思ってたはずのバリに、主人公は再び惹かれます。

どうして散々な目に遭ったバリに行くのか、私には理解できませんでした。

会社や家庭という生活から、離れたかったのかもしれません。

主人公が体調を崩したときに、妻が一方的に子どもを連れて実家に帰り、実家から帰ってきた第一声が小言だったら、離れたくなる気持ちもわかります。

ラストが本当に良くて、読んで良かったと思える作品でした。

バリ山行