本当の危機
読み方は、バリ山行(さんこう)です。
読む前は、バリ山に行く話だと思ってました。
全然違いました。
主人公は、建物の外装を修繕する会社に転職して2年。
前の会社から紹介してもらって、今の会社に勤めました。
前の会社には、首を切られた形です。
主人公は、今の会社に転職して、人付き合いをするようになりました。
山登りもその一環でした。
同僚に誘われ、社内行事の登山に参加します。
主人公には、会社員の妻と、3歳の娘がいます。
妻は、休日の登山も仕事のうちと、理解してくれてます。
社内行事だと、登山道を歩いても、仕事の話が行き交います。
山を歩いても結局、仕事のことばかり考えている。
主人公が何度か登山に参加すると、バリに出会います。
バリとは、バリエーションの略です。
通常の登山道ではない道を行く。破線ルートと呼ばれる熟練者向きの難易度の高いルートや廃道。そういう道やそこを行くことを指すという。
登山道ではない道を行くので、危険を伴います。
社内行事では、危険なバリはできません。
同僚に、バリをやってる妻鹿(めが)さんがいました。
妻鹿さんは40代で、父と弟を扶養に入れて暮らしてる噂を耳にします。
妻鹿さんは同僚と仲良くどころか、ときに激昂することで、周りから避けられてました。
主人公は、仕事で行き詰ったとき、妻鹿さんに助けてもらいました。
助けてもらった仕事の帰り、バリに連れていってほしいと伝えます。
主人公は、妻鹿さんとバリ登山をします。
ふと私は、自分が仕事のことをすっかり忘れていることに気がついた。
通常の登山道を行かないバリだから、仕事のことを忘れてると気づいたのでしょう。
ただバリ登山が素晴らしいという話にならないのが、本作の良い点です。
バリ登山について、読み手の私に思考させます。
有名な難ルートを踏破するのではなく、こんな低山をデタラメに、いくら彷徨ってみたところで、誰にも知られず、その困難さも過酷さも理解されることはない。
理解されるどころか、危険やマナー違反として、批判されることもあります。
完全な自己満足だと、主人公は考えます。
妻鹿さんは、生きるか死ぬかの感覚を味わえるバリは、本物だと言います。
一方、主人公は、本物の危機は街にあると考えます。
バリで死にかけた主人公は、妻鹿さんに言います。
ただ逃げてるだけじゃないんですか。向き合うのは山じゃなくて、生活ですよ! 本物の危機は街にありますよ、会社にありますよ!
読んでる私は、主人公の意見に傾きます。
バリ登山で自ら危機を作り出しても、対処できればいいです。
ですが死にかけたらどうするのだろうと、思ってしまいます。
本当の危機はどこにあるのか。
生活にあると、私は思いました。
生活が確立してなければ、山に行くことはできません。
妻鹿さんは、生活が危ぶまれる状況であっても、バリ登山をしている様子です。
バリをやってる理由を主人公が聞くと、
おもしろいからだよ
と、妻鹿さんは答えます。
生活が危ない状況であっても、おもしろいからと言って続けられるもの。
そんなものがある妻鹿さんをうらやましく感じました。
不意に、
山は街と地続きなのだから
という一文が、私には違和感のある形で、差し込まれます。
本当の危機は、山か街どちらかではなく、続いてることを作者が示したかったのかもしれません。
バリ登山でけがをして体調を崩した主人公は、家庭や職場に迷惑をかけます。
もう二度としないと思ってたはずのバリに、主人公は再び惹かれます。
どうして散々な目に遭ったバリに行くのか、私には理解できませんでした。
会社や家庭という生活から、離れたかったのかもしれません。
主人公が体調を崩したときに、妻が一方的に子どもを連れて実家に帰り、実家から帰ってきた第一声が小言だったら、離れたくなる気持ちもわかります。
ラストが本当に良くて、読んで良かったと思える作品でした。